ABOUT

本企画に参加しているアーティストの寺岡 海、神馬啓佑、船川翔司の3名はこれまで彼らを中心に集まったアーティストたちと共に、毎年継続して広島の尾道で自主的な短期滞在を行っていました。その際、滞在の目的や過ごし方は個々の判断に任されており、作品制作だけでなくリサーチや観光、交流などアーティスト個々の興味や必要に応じて活動を展開しています。企画者である藤本悠里子は、彼らの活動を「アーティストの夏休み」であると解釈し、これを秋田で行うことを提案しました。アーティストが一時的に環境を変えて「生活をしている」とも「制作活動をしている」とも言える状態に立ち会うことで、創造活動の始まりや過程を観察・調査することができるのではないかという意図から始まった企画です。

そして、2018年9月4日から9月16日まで、寺岡 海、神馬啓佑、船川翔司、そして来田広大の4名を秋田に招き、「SUMMER STATEMENT 2018」と題したアーティスト秋田滞在企画を実施しました。この滞在では、秋田公立美術大学でのトークイベントの開催や、滞在中のアーティストの様子を日々公開する特設サイトの設置、学生や教職員、企画者による滞在への参加という要素が含まれ、活動を発信し、記録として蓄積することにも務めました。また、2018年12月15日から翌年2月24日まで滞在の記録とアーティスト・企画者による秋田滞在への応答を発表するため、展覧会「『応答』~SUMMER STATEMENT 2018 報告とその後~」を開催いたします。

本サイトでは「SUMMER STATEMENT 2018」の企画・イベント情報の掲載に加え、滞在アーティスト企画者、そして滞在アーティストの周辺にいた人たちによる日記や記録の公開・更新を行います。

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2019.01.12

【1/11滞在制作 4日目】

インストーラーが加わり、本格的に造作が始まりました!
空間を作りながら、アーティストの皆さんは、作品の配置・それぞれの繋がりを考えて行きます。
ギャラリーを協働運営しているCNA秋田ケーブルテレビの方々にもご協力を得て、思い描く空間が徐々に立ち上がりつつあります。

アーティスト4人と企画者(キュレーター)が試行錯誤しながら、「アーティストの夏休み」だった秋田での滞在を、展覧会という形で報告します。
”あわい”(両極を浸透させてまじわらせること)の場が立ち上がろうとしています。
 
13日(日)18時〜プレオープニングトークを行います。
今回の企画趣旨について、企画者とアーティストからのお話を聞ける機会ですので、ぜひご参加ください!


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「応答」〜SUMMER STATEMENT 2018 報告とその後〜


■ 会期|

2018年12月15日(土)-2019年2月24日(日) 9:00-18:00


※休館日:2018年12月29日(土)~2019年1月3日(木)


<前期>「Out of Exhibition」


2018年12月15日(土)-2019年1月13日(日) 9:00-18:00


<後期>「秋田」


2019年1月14日(月)-2月24日(日) 9:00-18:00


■ 会場|秋田公立美術大学ギャラリー BIYONG POINT
(秋田市八橋南一丁目1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)


■ 入場無料


■ 企画|藤本悠里子(秋田公立美術大学大学院 2年)


■ アーティスト|寺岡 海、神馬啓佑、船川翔司、来田広大


■ 主催|秋田公立美術大学、NPO法人アーツセンターあきた、向三軒両隣


■ 協力|CNA 秋田ケーブルテレビ


■ 助成|秋田市地域づくり交付金事業


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関連イベント|

「秋田」プレオープニングイベント
日時|

2019年1月13日(日) 18:00-
会場|

BIYONG POINT



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投稿:NPO法人アーツセンターあきた

2019.01.11

【1/10滞在制作 3日目】

アーティストそれぞれが作品プランを持ち寄って来秋し、それをBIYONG POINTのギャラリー空間にどのように落とし込むのか、
また、今回の展示は夏の滞在への"応答"としての展示ということを考えた際に、これで良いのか?
夏の滞在とは違う、冬の秋田を感じながら夏の滞在を振り返り、どのように表現すれば良いか。
滞在制作3日目は、アーティスト4人として今回の展示にどう答えるかを話し合った1日でした。

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「応答」〜SUMMER STATEMENT 2018 報告とその後〜


■ 会期|

2018年12月15日(土)-2019年2月24日(日) 9:00-18:00


※休館日:2018年12月29日(土)~2019年1月3日(木)


<前期>「Out of Exhibition」


2018年12月15日(土)-2019年1月13日(日) 9:00-18:00


<後期>「秋田」


2019年1月14日(月)-2月24日(日) 9:00-18:00


■ 会場|秋田公立美術大学ギャラリー BIYONG POINT
(秋田市八橋南一丁目1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)


■ 入場無料


■ 企画|藤本悠里子(秋田公立美術大学大学院 2年)


■ アーティスト|寺岡 海、神馬啓佑、船川翔司、来田広大


■ 主催|秋田公立美術大学、NPO法人アーツセンターあきた、向三軒両隣


■ 協力|CNA 秋田ケーブルテレビ


■ 助成|秋田市地域づくり交付金事業


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関連イベント|

「秋田」プレオープニングイベント
日時|

2019年1月13日(日) 18:00-
会場|

BIYONG POINT



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投稿:NPO法人アーツセンターあきた

2019.01.10

【来田さん、パフォーマンス中】

急遽日程変更しました!
秋田公立美術大学グラウンドで、来田広大さんが鳥海山の鳥瞰図をえがくパフォーマンスをおこなっています。
雪の上に線がじわじわと拡がっていく様子、お近くの方は是非見に来てください!

投稿:NPO法人アーツセンターあきた

2019.01.09

【京都から4名のアーティスト到着!】


「応答-SUMMER STATEMENT2018報告とその後-」後期|秋田
 
昨日8日より、後期への展示替え&アーティストの滞在制作が始まりました。
アーティストはそれぞれの作品を携え、秋田の地に到着。昨日8日は各自の作品プラン・滞在スケジュールを共有し、後期|「秋田」の展示に向けて走り出しました!
 
これまでもテレビ会議でミーティングを重ねてきたものの、どうなるかわからないのが今回の企画の見どころ。
13日までの滞在の様子は随時こちらでお知らせいたします。
※本日〜13日まで展示会場はオープンしておりますが、作業中の状態です。

<スケジュールと作業内容>


9日(本日)

船川:カンジキとカメラを持って、男鹿の寒風山へ

来田・神馬・寺岡:展示プラン調整


藤本:アーティストの展示作品の鑑賞方法を検討中

10日

来田:秋田公立美術大学グラウンドにて、パフォーマンス実施


船川:秋田犬と散歩交渉


神馬:ゲートづくり


寺岡:展示機材セッティング等


藤本:作家の活動フォローアップ、全体の展示計画まとめる


11日|展示物の印刷・制作など


12日-|インストーラー到着!


 会場にて本格的にインストール開始


13日|18時からのオープニングに向けて準備


上記スケジュールは現状のもので、今後変動する可能性があります。
随時ご報告していきます!!

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「応答」〜SUMMER STATEMENT 2018 報告とその後〜

■ 会期|

2018年12月15日(土)-2019年2月24日(日) 9:00-18:00


※休館日:2018年12月29日(土)~2019年1月3日(木)


<前期>「Out of Exhibition」


2018年12月15日(土)-2019年1月13日(日) 9:00-18:00


<後期>「秋田」


2019年1月14日(月)-2月24日(日) 9:00-18:00


■ 会場|秋田公立美術大学ギャラリー BIYONG POINT
(秋田市八橋南一丁目1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)


■ 入場無料


■ 企画|藤本悠里子(秋田公立美術大学大学院 2年)


■ アーティスト|寺岡 海、神馬啓佑、船川翔司、来田広大


■ 主催|秋田公立美術大学、NPO法人アーツセンターあきた、向三軒両隣


■ 協力|CNA 秋田ケーブルテレビ


■ 助成|秋田市地域づくり交付金事業


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関連イベント|

「秋田」プレオープニングイベント
日時|

2019年1月13日(日) 18:00-
会場|

BIYONG POINT



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投稿:NPO法人アーツセンターあきた

2019.01.07

前期「Out of Exhibition」会場風景

これまで若手アーティストの支援や展覧会の企画に携わってきた中で、アーティストの創造活動を展覧会という形式で発表することに疑いはありませんでした。しかし、「展覧会では見えていないところ」、つまり「展覧会の外」にもアーティストたちの活動は存在しており、作品としてのかたちを得たものの周りには、作品には現れていないたくさんの思考や出来事、言葉が溢れています。私はこれらの要素に目を向けて、企画を立てることはできないだろうかと考えました。
この度行った「SUMMER STATEMENT 2018」の中ではアーティストの「生活」と「制作活動」の両方の要素が存在していました。そこに、学生や教職員、土地に暮らす人たちが立ち会い、関わりを持つことで、様々な言葉や考えが交換され、日々状態が変化する動きのある企画となりました。 前期「Out of Exhibition」では「SUMMER STATEMENT 2018」を通して集めた記録を元に、実際にどのような状況が創出されていたのか、また、アーティストや滞在に関わった人たちにどのような影響をもたらしたのかを考察し、報告いたします。
これらの考察を経て、アーティストによる新しい表現が生まれる現場をどのように創造できるのか、またキュレーターやコーディネーターはいかにアーティストの創作活動に関わることが可能なのかを明らかにする研究へと繋げたいと考えています。

藤本悠里子

会期:
【前期】「Out of Exhibition」
2018年12月15日(土)-2019年1月13日(日) 9:00-18:00
※休館日:2018年12月29日(土)~2019年1月3日(木)

会場:秋田公立美術大学ギャラリー BIYONG POINT(秋田市八橋南一丁目1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)
企画:藤本悠里子(秋田公立美術大学大学院 2年)
アーティスト:寺岡海、神馬啓佑、船川翔司、来田広大
主催:秋田公立美術大学、NPO法人アーツセンターあきた、向三軒両隣
協力:CNA 秋田ケーブルテレビ
助成:秋田市地域づくり交付金事業

投稿:藤本悠里子

2018.12.27

複合芸術会議2018:京都セッション「移動すること、作ること、暮らすこと」の様子

複合芸術会議2018:京都セッション
「移動すること、作ること、暮らすこと」

日時:2018年12月27日(木) 18:00-20:30

会場:MEDIA SHOP gallery (京都市中京区河原町三条下る一筋目東入る 大黒町44 VOXビル 1F)

出演者:

第1部 | 藤本悠里子 (秋田公立美術大学大学院 2年)
    寺岡海 (現代美術家、SUMMER STATEMENT 2018 参加作家)
    神馬啓佑 (同上)
    船川翔司 (同上)
    来田広大 (同上)
    國政サトシ (現代美術家・秋田公立美術大学ビジュアルアーツ専攻 助手)

第2部 | 服部浩之 (インディペンデント・キュレーター、秋田公立美術大学大学院准教授)
    唐澤太輔 (哲学・文化人類学研究者)
    藤本悠里子 (秋田公立美術大学大学院 2年)

撮影:Kim Song Gi

投稿:藤本悠里子

2018.12.22

20181222_月2

投稿:寺岡海

2018.12.20

20181220_月

月を撮影するという制作プランを一昨日くらいに思いついて、急遽実行することにした。撮影の準備に手間取り、出発したのが夜の3時。頭の上にあったと思っていた月はかなり山に近づいていて、もう見上げることもなく、撮影を予定している山の向こうで輝いていた。調べてみると南中時刻は0時50分だった。頂上を過ぎた月の光は先程までの輝きと魅力を失い、山に沈む準備をしている。

急いで、(とは言っても、15kg近い荷物を背負っているので気持ちだけ急いで)撮影場所にむかった。遊歩道になっているとはいえ、夜中の山は薄気味悪い。

暗闇が生み出した恐怖心が再び暗闇と共謀し、いやな想像をさせる。息をきらせて山に登りながら、角幡唯介の「極夜行」を思い出していた。太陽の登らない極夜を数ヶ月旅した時の本で、とてもおもしろかった。が、今思い出しているのはその冒険譚の本筋ではなく、その中の「汗」の話だった。マイナス何十度という場所でありながら、100kgほどのソリを引いて歩くと熱くて大量の汗をかくらしい。そして動きをとめるとすぐに冷えてしまい、また、太陽が昇らないため、その汗を含んだ衣類はなかなか乾かすことができない。汗をいかに処理するか、がかなり重要だと言っていた。その時はそんなことを思い出すくらい、ぐっしょり汗をかいていて、そしてこの後の撮影で何時間かその場にとどまらないといけないということに頭を悩ませるという現実的なことを考えて恐怖心を和らげていた。
結局、山の展望台まで登ったときには月は雲に隠れてしまい、撮影は断念、帰宅することにした。今までの制作の経験から、自然が相手だと諦めが肝心だと思えて、そこまでの労働の対価がえられなくともそう気落ちすることはなくなった。明日もまた月は昇る。ただそれがおそらく雨で見えないだけで。

投稿:寺岡海

2018.12.15

20181215_akita plan

投稿:寺岡海

2018.12.05

2018.12.05.ミーティング

投稿:藤本悠里子

2018.12.03

2018.12.03.ミーティング

投稿:藤本悠里子

2018.11.05

20181105_ミーティング

投稿:寺岡海

20181105_ミーティング

投稿:寺岡海

2018.10.31

20181031_ミーティング

投稿:寺岡海

2018.10.20

20181020_バナナが落ちていた

投稿:寺岡海

2018.10.05

20181005_京都のアトリエにて

投稿:寺岡海

2018.09.17

アーツセンターあきたの方々インタビューMさん、IWさん、ISさん

M:やっぱり外から人が来て、その人たちに関わりたいという強くなくとも意欲を持った人たちが焚き火の周りに集まったり、トークに来たりっていうのが学内で起こるのは良いなと思ってみてました。あと、企画の特設サイトもいろんなところ行って、いろんな活動をしていて楽しそうだなっていう。そういう楽しんでいる人がそばにいたんだなっていうのはちょっと嬉しかったです。

IW:神馬さんは絵を描いていたりしたけど、その入りが作家というか、私は全然来た作家に詳しくないし、作家としてっていうより、世代も同世代やから、面白い人たちが来たなっていうノリなのと、もともと関西にいたので関西のノリこんな感じやったなっていうのをちょっと思い出した。関西の風が吹いた感じがすごくあって、関西ってこんなノリなんやなって逆に秋田にいるから感じた。あっているか分からないけれど。そんな感じをしてて、途中WEBサイトに上がっているテキストを読んだり、滞在している中で感じて言葉にしたり、寺岡さんは文章にしてて、こんな風に感じてたんやなとか、こんな風に見てたんやなっていうのは、一緒に青森行ったりしてるのを同行しているが故に、やっぱりすごいなって思った部分もありました。普通の人としてスタートしたけど改めて作家なんやなっていうのを感じたっていうのがあります。

M:やっぱり4人だったのが、複数だったのが良かったと思っていて、それぞれの個性が全然違ったというか。寺岡さんは全然話さないけど文章は色々考えている一方で、話すのが上手い人もいて、一人だけが取り出されて来ていたのと全然違ったという感じがしました。

-キャラが自然と別れたのか、別れるように意識したのか。別にあの4人は普段から会うメンバーではないので、来田さんは初めてやし他の3人は1年に1回合宿するために会うメンバーだけど、来たら共同生活をうまいことできるようにバランスをとっていたなと思って、独特の連関だなと思っていました。

IS:アーティストのっていう枕詞がついてるじゃないですか。ただのお兄さんの夏休みではなく。アーティストの夏休み。寺岡さんに聞いたんですけど、それは必要なことなんだと。それが私はあんまり分からなかったというか、分かるんだけど、あえてそこで言うことはなんでかなって。わかるんですよ。アーティストやなって、色々見てたり、アーティストでいることとはなんぞやっていう気持ちになりました。

-彼らもなってたみたいですね。

M:別に作らなくても良いと言われたがために、アーティストである要素が奪われた感じが。

-大学院生にもインタビューしたんですけど、ある人は最初帰ってほしかったらしいんですね。大学院棟にいるのが嫌やったらしくて。その人は自分の中にあるアーティストっていうイメージに対して、不気味さというか、怖さみたいなのを持っていて、話せば普通で宇宙人じゃないっていうことは分かるけど、「アーティスト」「芸術家」みたいなものが目の前に現れた時に自分の中に引け目を感じる。彼らに対して話す言葉を持っていないという気持ちに陥るらしくて、最初に私がアーティストを呼ぶと言った時に嫌だったと。でもそれもちょっと分かるなと思って。

IS:私もちょっと分かる。

-30代前半のサラリーマンじゃなくて、アーティストが来てるっていうので、何か違う感じになってしまうっていうのは分かるし、意識的に何かを選択する人たち、意識的にキャリアなり、素材なり、表現を選びとっている人たちがそういう生活をしている人たちを呼ぶっていうことが今回の私にとってのアーティストを呼ぶということだったかなと思っています。それは音楽家でも、研究者でも、活動家でもいいのかもしれないですけど、分かりやすくそれをやってくれる人としてアーティストを呼んだなと思いました。

M:そうなった時に、コーディネーターのプロフェッショナリズムが問われるのかなと聞いていて思って、作家の感性というか、する鋭いしそれを言葉にする力も持っている人たちなので、対峙する時に下手なこと言えないという引け目はすごく感じるけれども、それで引いたらコーディネーターとしては不十分かなと思って、そこをあえて引かずに全力投球するのがコーディネーターの1つ大事な前提かなと思ったり、引かずに何をするんだというのはありますけれど。

-アーティストと対峙する時に対等でいるってすごく難しいじゃないですか。強いというか、技を、術を持っている人たちだから、それを持たないで挑むって難しくて、神馬さんは最後の展示どうするってなった時にそこで藤本が展示したら対等になると思うと言われて、納得したんですけど。本来は発表するべき、Exhibit、存在していたことにされるべきはアーティストの表現であるとも思うし、でも同じように生きていたことは対等なのでそれをホワイトキューブというか人に見られる場所に「Exhibition」にするってどう違うんだろうと考えてました。一緒に生活していたら分からなくなるから。

IS:だから一回帰ってくださいって。

-そう、そのISさんの一言にすごい打たれてましたよ。

IS:来田さんには最後コンビニで会った時に「一回帰りますわ」って握手求められました。

-一回帰るってことを、作家は後半になるにつれて大事なことに思ってました。居ることじゃなくて、一回帰るってことが大事になっていく。

IW:整理できないですよね。普段、どんなんやったかなって。

-呼びゃいいってもんじゃないなと思いました。

IS:藤本さんは今回どんな立場だったんですか。あっちはアーティストという自認の仕方で来ていて、藤本さんは?これからどうなるのかとか。

-トークの最後に教授が「これは藤本の教育のためにやっていることなので、アーティストは好きにやって良い。その立場を存分に発揮してくれて良い。でもこの活動が社会化された時にどういう意味を持つか考えなくてはいけないよね」と言われて。そうやと思ったんですけど。これまで自分がやって来た企画が、全部関わり方が特殊やったなと思っていて、キュレーターという立場だけではない関わりになるんですよね。今回も例えば一緒に生活をしてみる、一緒に旅してみる、山に登ってみるというのは鑑賞者でありつつ、企画者でもあり、一緒に活動するチームの一人でもあり、キュレーションだけではないと思っているので、立場が変動する。

IS:ならアーティストもした方が良いですね。笑

IW:でもそれを問う論文でもあるんじゃないの。

-そうです。その立場やからこそ見せれる価値、繋げるものって何なのかを考えたいですね。

IS:この活動でアーティストの卵のような学生たちも一緒に同行してたじゃないですか。関係ないところに種が埋まるというのが色々あっただろうなと今回。それこそ藤本さんじゃない、私とか、岩根さんに。だからインタビューしてると思うんだけど、それが良かったなって思っていましたね。

-どんどん色んな人たちが巻き込まれていく、回収されていく状況を生めたのかは分からないですけど、そういう感覚にはなりました。

IS:國政さんがどんどんおかしくなったりもそうだし。

IW:京都から自転車で来た人とか。どういう状態なんやろうって。

-秋田にアーティストがいるが故に別の人が来るっていうことも起きましたね。

M:テニスコーツのさやさんがいらっしゃってたのもそうですよね。

IW:突然いてびっくりしましたね。

-それぞれの専門職の人が生む効果があると思うんですが、どこがアーティストならではの効果で、どこからが個体差の問題でなのか。

M:それは濾過して抽出できるものなのか。

IW:でも共通認識の意思疎通みたいなものでもないんかな。金さんが来るっていうのも、知ってるやつらがいるっていうのもあったやろうなと。行ったら絶対楽しいみたいな感覚があったからっていうのと、秋田で何かが起こっているというのとか。高校生キャンプの時も、ツイッターで繋がってるだけのリズムくんが来たりして。それも近いなと思って。

-一人だけしか来てなかったら、おそらく来てなくて、そこにストリームというか運動体があるってわかるから来たんかなと。

M:そうですね。それは大きいと思います。

IW:そのストリームが何なのか。

IS:秋田で集まっているっていうのが変なんだよね。東京で集まってても、まあいくけど、その感じはちょっと違うじゃないですか。秋田にって。京都からわざわざ秋田にって。

IW:秋田だからみたいなところはあったでしょうね。

M:仙台でも違うでしょうね。

-未開拓な感じがあるからでしょうか。

IW:今、行かなきゃいけない気がする。今逃したら一生行かないかもって。

-山に登った感覚と今回の滞在を対応させて考えるんですよね。山に行くのと秋田に行くのって近いかもしれないと。存在しているのは知ってるけど、解像度が低くて、行ってみたら要素がありそうな感じがする。

IW:けど行きにくい。

-だから飛行機じゃなくて、フィリーとか自転車で来るっていうのは秋田にそうやって来るのは重要な気がします。IW:思っているより遠いもんね。

-行ったら行ったで、来る前の地点のこと考えるんですよね。京都にいたら、秋田のこと考えるし、秋田に来たら京都のことを考える。

IS:私も移動とか距離のことをベタに考えるもんなんだなと。よくあるじゃないですか。でも、まだ全然考えることありそうだし、自分もまた考えるのであるなーと思いました。それこそホームとかアウェイとか。

-これは何かに繋がるんですかね。これが育って何かになりそうですか?

IS:今のこの感じを記録しておくのは大事だと思う。見返した時にあ!これ!っていうミラクルが起こるかもしれない。

M:全く個人的な感想としてはこのプログラムにアートと全く接点のなかった人が巻き込まれた時のその後の変化が見れたらなと今更ながら思っていて、私自身も元々アートに関心がなくて「Media/Art Kitchen」という企画に担当者として巻き込まれて面白いと思うようになった変化がもしかしたら、今回の場合は作品を作るという目的ではなかったし、展覧会をやるということも当初設定はなかったけれど、作家と関わった一個人だったり、その言葉に触れたりっていうのを作品とか制作活動とは全然離れたところでやった時に多分すごくアートの見え方が変わるんじゃないかなと自分自身の中で仮定していて、それが見れたら良かったっていうのは思います。それは素人という言い方をすれば素人が関わった時にどう接するかとちょっと片足突っ込んだ私たちが接した時どうなるのかっていうのは、度合いは違えど変化は生まれそうな気がします。

-本来ならもう一人、尾道の滞在の立ち上げ時からいた方がいて、今回来れなくて。その人はアーティスト活動をしている人ではないんですけど、滞在の時だけ作品を作ろうとするんですよ。それはすごく面白いなと。今回いらっしゃらなかったですけれど、おそらくいて。実はいて。遠くにいながら想いは馳せてたんじゃないかと思ってます。

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秋田犬〜船川〜風穴

投稿:船川翔司

2018.09.16

大学院生Oくんインタビュー(青森、鳥海山に同行、焚き火・飲み会にも参加)

-アーティストにもインタビューしたんやけど、関わってくれた人の言葉も記録しておこうと思って、アーティストが来て何か面白いことあった?

ふじもっちゃんが例えでさ、アーティスト・イン・レジデンスの面白いところは「スーパーに買い物に行くと料理するためじゃなくて、爆発させるためにトマトを買うみたいな選択をする人(日常生活とはズレた選択をする人)が同じ時間軸にいて、その人の行為が誰かの生活と交差する」って言ってて、そうだよなって。別の人は僕と別の角度から考えている。普段からそうだけど、いざ僕がここにいて生活をしてて、京都から違う視点の人たちがやって来て…何だろう、関西の空気がすごく濃くなった2週間って言ったらそれまでだけど、それだけじゃなくて、関西人だからってわけじゃないけど…この言葉になりにくさを残していった気がする。僕の中に。

-それは何かに影響しそう?例えばOくんの制作とか、生活とか…

すごいすると思う。今までは、作品と生活との距離感が近づいたり遠ざかったり曖昧だったのね。自分の中で。でも多分ふじもっちゃんが起こした仕掛けが演劇的な要素だとしたら、その作品の中にずっといた感じで。自分の制作が上手くいってるなっていうときは、生活と制作の距離がすごく近づいた時なのね。 (普段は色々考えつつ、絵画の歴史とか、僕が使ってる素材の性質とかを考えて、あーしようとかこうしようとか思うけど、実際に制作してみるとそんなことはどうでもいいというか。確かに大事だし、説明するときにそういう要素を使うことはあるけど、りんごの赤よりトマトの赤の方が良いな…っていうか、同じ赤色だけど、決定的に自分の中で何かが違うってそれが美術の文脈では説明できないけど自分の感覚ではしっかり差異があって…)
2週間、関西の人たちに触れて、それが1つの鑑賞体験みたいな感じで、ずっと制作と生活の距離が近かった気がしたのね。この鑑賞体験の中にいたから。ずっと。で、僕としては作品を作るのと、生活をするのが近い方が上手くいく気がしてて、人のやってることだけど、自分の中でこの感じ結構好きな感じだなっていうのは思ってた。今までは生活と制作をそれぞれ箱みたいな感じで考えてたんだけど、ずっとやってるとぶつかってこぼれ落ちて、床に落ちた感じがごちゃごちゃ混ざって面白い。でもそうじゃなくて、円みたいなのがいくつかあって、それが重なってる状態っていうイメージ。円じゃなくても良いけど、箱が解体した感じがある。外枠っていうのじゃなくて、グレーゾーンを伸ばすっていう話も先週くらいにあったし。登山の時にここからスタートっていう地点(登山口)はあったけど、5合目のスタート地点(登山口)に車で向かってる時からテンション上がって、その時から登山は始まってたんじゃないっていうか。境界線のなさというか、遠くから人が来て確かに関西の濃度は上がったけどそこに境界線はないというか、上手く説明できないけど、そう感じてた。要素として、ボンって入って来たけど、そんなに境界線はなかった。

-私もグレーゾーンのこと考えてた。「間」やなと。アーティストたちも関西っていうホームから中間地点みたいなところに出て来て、私たちもホストとしてずっと構えてるわけじゃなくて、向こう側に、自分たちの箱から出ていって、お互いの間の地点で会うっていうのは考えていた。山で自分が立ってる場所の岩場があって、向こう側に街と空とこれから歩くであろう山の稜線が見えてて、ベタってくっつくみたいな。どこからが近くでどこからが遠くかわからなくて全ての自分の視界の中に入ってて距離感がバカになるみたいな感じとかが起きてたなって思う。山の上でも、この期間中も。

すごい思った。ちょうど同じ時期に『プラネテス(テレビアニメ)』見てて、すごい何もない空間に人間が開拓しにいくんだけど、でも開拓した後のゴミを回収する人たちで、何もない空間だけど、ゴミを回収する仕事だけど、そのゴミを回収するっていうのはとても人の役に立つ。縁の下の力持ちみたいな感じで。これを見てる時の胸が熱くなる感じと「SUMMER STATEMENT 2018」の4人と金さん(自転車で京都からアーティストたちに会いにきた人)と飲んでて胸が熱くなってくる感じがすごい似てて。笑 なんで金さんきたんだろうって。でもめっちゃかっこいいじゃんこの人みたいな。分からなさがとてもあったけど、その分からなさはさ、算数とか数学で問題が解けない時の分からなさじゃなくて、なんで違うのか分からないけど、とても心地がいい感じがした。

大学院生Hさんインタビュー

大学院、侵されてると思って。やばい暴力や、私の生活が私の生活でなくなっていく、彼らを意識して遠ざけたり、気にしたりするの嫌やって。3日間くらいはアーティストが大学院棟にいるのめっちゃ嫌で。結果、帰る時には好きになった。

-どれが?アーティストいる生活が?

生活が。好きになった。部活だった。「なんでアーティストになったんですか?」っていう質問をして、こじ開けた感じある。こっちから攻めにはいった。多分ずっと遠慮して、ちょっと距離をとって一緒にいるっていうのもできたけど、割と顔は出してた方じゃん。だけど質問かまさないとなんとなくノリのいい人になって終わるというか、お互いに人間的な距離感が近づかないまま終わると思って、「なんでアーティストになったんだ」ってこじ開けて、良かったなと思ってる。

-それにアーティストは何て答えてたん。

最初、来田さんは東京芸大っていうのもあるのかもしれないけど、それを目指すことがそんなに特別じゃなかったというか。「なんでやろうな」って来田さんは言ってて。なんでやろうなって思うくらい自然なことだったんだろうなって。アーティストになることが。言葉のインパクトでいくと「来田さんて芸術家なんですよね」って言われた感じが私にとっての「アーティスト」と同じ感じなのよ。みんな「アーティストなんですか」「アーティストです」「はいはい」ってなるじゃん。でもそれが「芸術家なんですよね」っていった時にムズってするじゃん。ハードルというか、ちょっと違うものというか。その感覚を私は「アーティスト」って言われた時に受けるわけ。「芸術家」って、そんな特別なものじゃ…ってざわざわするじゃん。それを感じるわけ。「アーティスト」が「芸術家」ぐらいのレイヤーになる。別だけど。もっと芸術家はおかしいところにいて、アーティストがあって、一般人みたいなのがあるけど。そこの階段が藤本たちと違う。

-私は今、Hさんの言ってる「芸術家」っていうのを「スーパースター」って変換して聞いている。「スーパースターなんですよね。」「スーパースターでは…」みたいな。

そうそう。普通とは違って己の道を進んでいる人たちみたいな感じの感覚を「なんでアーティストになったんですか」って同じ感じで聞いたわけ。ざわざわ感としては。それぐらいざわついてるものなんだよっていうのがあって。でも彼らはどんどんアーティストになっていくし、先輩でアーティストになった人がいるって聞いてるし、っていう中のとても普通の言葉。「なんで広告会社に就職したの」って聞くのと同じレベルで。っていうのを来田さんから感じた。神馬さんに聞いたらポロックの話したのよ。神馬さんも悩んでた。「なんでアーティストになったんですか」って聞いて。最初に質問返しされた。「なんでHさんは秋美におるん?アートマネジメントの勉強してるのはなんで?」って聞かれたから、経緯を説明したら、私は理由がロジック的にあるじゃん。こういう経験をしてこう思った。次、こういう経験をしてこう思った。で、今こう。ってトントントンってあるじゃん。っていうのが、お互いに神馬さんと分かって、「俺もそういう風に言った方が良い?」って言われて、「それで言わなくてもいい」って言ったら、それでポロックの話になったんかな。周波数がわかったんだと思う。違いが。圧倒的に美術を踏んでないから。でさ、割り箸の紙と机が置いてあって、「この赤と黒と白、これどの順番で色が乗るってるかわかるやん。抽象ってその時間軸がわかるために起きたものなのね」って。「確かに階層がわかりますね」って。「それ!」って。笑 でも結構わかったのね。私もそうやって言われたらこれの次にこれの次にこれを乗せたってわかる。順番がわかる。時系列がわかる。なるほど。って。「それに気づいてしまったんだよね」って。「色々話したけど発想の瞬間からこういう綺麗なもの作りたいんじゃなくて、走り続けることが目的になっちゃんたんだよなー」って。その途中の質問で「じゃあ何したら死ねるか」って聞いたんだよね。私が。それで「あー、俺は走ることが目的になってるんやな」っていうことを彼は言ってた気がする。今曖昧に話すとそういうことかな。船川さんとは話してなくて、寺岡さんは「自分は建築に元々いて」っていう話を聞いたかな。「クライアントがいるものは違うな」って。友達の作品が全然わからんくて、だけどその友達がいる専攻に転科したって。それがしっくりきたっていう話を聞いて。なんとなく既に違うって分かってるものがある人は話が分かりやすかった。「建築でクライアントがいるものは違ったからいないものにした」とかさ。のは、理解はしやすいなって。そういう話した。それ聞いたらすごい変な人感は、変だけど、宇宙人ではなくなった。人間を歩んでた。だし、3人ともいつでも迷いはあるというか。「ずっとアーティストしてていいんかな」って。どの人の話聞いてても支えあってる感はすごいあって。「自分一人でアーティストになるぞ」っていうよりかは、「周りがこうしてるから俺もこうしよう」とか、連携を取りながら自分もその中にいるっていうのが、圧倒的に続けられているポイントというか。そういう意味では言葉がまだわからないけど、ちょっとがっかりっていうか。本当に一人で自分の経験で、こういうこと思って、芸術家?アーティストになろうと思ったんや、って。もしくは違うな違うなって思ってやってきたら、俺はアーティストだったんや。っていう人があまりいないなと思った。寺岡さんはどっちかっていうとアーティストになりたいと思ったっていうよりは、なんか自分がやってることを人に伝えるときにアーティストっていうのが一番都合が良いから使ってるから、「俺はアーティストだっていうものになってるわけじゃないんだけどな」って。そっかそっかって思ったけど。っていう話を居酒屋でしました。

-いいなあ。

一昨日、珍しく國政さんと話して。前、「私の地元の友達は美術系じゃないから、秋田にきた時にどこ連れて行っていいかわからなくて。観光地としては成立してない場所に連れていくのは、楽しんでくれているか不安になる」って話したやん。でも自分は秋田の閑散とした感じとかひらけた感じとか、面白いと思ってて。その話してたら國政さんに言われたんだよね。「Hさんが秋田に来たこと自体がクリエイティブだ」って。「はあ?」って。嬉しいけど、何がクリエイティブかわからんなーと思った。「わかんないです」って言った。「何にも創造してませんよ、私は私の為にしか来てませんよ」って。案内にドギマギする。サービスとして用意された観光とは違うから、今回みたいにアーティストとかゲストが来て、美大の関係者が新屋浜に連れていって「うわー素晴らしい!」って多分ならないから。私の友達は。すごいとは思うだろうけど、満足度の溜まり方が違うって國政さん言ったら、「ええ話やな」って言われて。いよいよわかんなくなった。國政さんのこと。けど何かがよかった。

-大学院生のSさんが興味を持ってくれたりとか、Oくんがアーティストの話を聞いてる感じとか、Hさんがアーティストと喋ってる感じは見てて感動してた。私が秋田でいつも一緒にいて言葉を交わしている人たちと、私が京都で面白いと思ってた人たちが、私を介さなくても会話をするわけやん。そこで拒絶せずに関係を作っていってる感じはすごく良いなあと思って。私はずっと「アーティストって面白くって」っていう話を永遠にしてるわけやん。だけど、みんなはそのアーティストと会ってないから、私の言葉でいっても分からないし、自分で言っててもこの関西弁、本当はこんな言い方しないのになっていう言葉を使って喋ってる違和感がずっとあって、ちょっとエセっぽい話し方になってるの嫌やなって思いながら喋っちゃう。っていう感じでアーティストとか美術のことを語ってて。秋田で。これちょっとエセっぽくなってるなーって。自分の中で変に言い換えてるなって。それが現物連れて来たら、その方がダイレクトなこともあるやん。それができて、どういう風に伝わるかは分からないけど、でもとりあえず持ってこれて、あそことここを繋げられて良かったなと思った。

そういう意味では藤本はわかりやすく「4人いて、一人は男鹿に行って、一人は野良犬を探して、一人は絵を描いて…」ってプランを教えてくれたやん。それを聞いてるとプランしか見えてないから、ゴリゴリしてる感じ、印象を持ってたのよね。「わけわからん行動を始める人たちが、攻めの人たちが4人おるんやなあ」って思ってたんだけど、4人の中のプランだけ聞くと男鹿の野良犬を探しに行くっていうのが一番やばいと思っててって会ったら船川さんやん。めっちゃニコニコしてるみたいな。めっちゃニカニカしてる。船川さんの笑顔すごい良いなと思ってて。「この人が野犬を探しに行くって言ってた人なのか…嘘だ!」って。なんなら4人とも全員穏やかというか、それは結構意外だったかも。会ってみて感じた経験。みんな穏やかだな。でも初日の居酒屋で延々と美術の話をしてるのは嫌やった。こっちは全然面白くないなーというか、面白いんだけど、楽しくないのよ。興味のある話をしてるけど、わーっとはならないのが辛くて、「ああ同じ場所に生きていちゃいけないや」みたいな。「あの人たちはあの人たちでやったらいいや」みたいな。最初の居酒屋はそう思った。でも意外と喋ったら穏やかっていうのを知って、スタジオ行ったりして。ご飯行ってしょうもないことでケラケラ笑ってる感じとかは、しょうもない一面あるなって。それは良かった。どこかで着火剤はあると思うけど。向こうがムムッて思う沸点はあるってずっと思ってた。

-それはみんなそうじゃないの。

みんなあるんだけど、明らかに見える。その着火剤がありますよっていうのが。人間誰でもあるけど、怒るポイントは。そうじゃない、この4人にこれについてこう言ったら睨まれそうやなっていうか苦い顔されそうやなって。

-例えば、広告の会社に勤めてる人が、「広告ってお金貯めたいパリピの集まりやろ」って言われたら「別にそういうつもりでやってるわけじゃないのになー」って、「そういう誤解されたら悲しいな」ってなるやん。という感じで神馬さんに「絵を描いてるだけで、毎日楽しそうですね」って言ったら「それだけでやってるわけじゃないねんけどな」って言うと思う。

そうなんかなー。そこは気を遣っちゃった。そこはまだ怖いなって思っちゃって。話題とかちょっと気にするけどね。

相撲取りと話す感じかな。本当に相撲業界のこと知らないから。しかも昔から培われてきた掟があるやん。それ知らんのに、「私も相撲見たい〜」って言ったら怒られるかなって言うのと近い感じはあるかな。圧倒的に知らない世界の方々、でもそこで全うしている方たちとどう付き合う?っていうか。相撲取りも人間だと知ってるけど、なんか切り口が見えにくい人たち。

-前さ、来田さんとHさんが前を歩いてて、私と寺岡さんが後ろ歩いてたやんか。で後ろで寺岡さんと歩きながら、来田さんとHさんが付き合う妄想話を二人でしてて。設定ではお互いもちろん両思いやねんけど、Hさんはアーティストっていうものに対して未知な部分を感じていて、だけどアーティストとしての来田さんじゃなくて、来田さんそのものを理解しようとするっていうストーリーをいいなあって寺岡さんと言い合ってた。でもそういうことなんやろうなって。前で2人が歩いてて、Hさんが来田さんに言葉を投げかけてて、会話してる。それはアーティストっていうものを理解するよりも前に来田広大っていう人と話すっていうその人を理解するっていう段階があって、知っていくっていう映像を後ろからみてた。そういうのをみたなって。アーティストはこうかもしれないっていうイメージはHさんの中にあって、でも本物のアーティストをやっている人は目の前にいて、Hさんがそれとすり合わせながら確認しながら距離を考えていくみたいなのが全てやったなと思った。

来田さんインタビュー

−この滞在で、何か印象的だったこと、面白かったことはありますか。

大学が面白かった。変な感じで。大学っぽいところもあり、ぽくないところもあり、ゆるい感じが。

−共同生活はどうでした?

共同生活は面白かった。昨日も喋ったけど僕らが料理したりとか、後の二人は家事はしないけど、話し合いの場では神馬くんや船川さんがポンと鋭いこと言ったり、それは役割というか、それで良いバランスで4人がいたんちゃうかと思います。たまに朝走るって言って、早く寝る人もいたし。あと、國政さんの存在は大きかった。本当に。一緒にやってたんちゃうかなと思う。

国政さん:やってたと思う。制作もしてたし。ちょっと前から秋田におったってだけやけど。

國政さんがいるのと、いないのとで随分違ったと思う。俺らもスーって入っていきやすかった。両方の目線を持ってる気がする。それは藤本さんもそうやけど。関西でいる俺らの目線とこっちに一年半おって、すごい一緒にやってた感じがあった。一緒にそわそわしたし。

−私たちも秋田いるけどみんな来ることによって、秋田が別のフェーズに入る感じがありました。普段の生活とはちょっと違う場所にある生活に変わるから、いつもの日常から逸脱した感じがありました。

そうやね。

−今回の滞在、個人の制作に繋がりそうですか?

繋がりそうです。今ちょっとどうなるかわからないけど、帰りのフェリーでテキストは書こうと思っていて、最近僕が気になっている移動することを考えようかなと。初め乗って来たフェリーの感じとこれから乗る感じと時差みたいなのがあるやん。海外で言ったら。そんな感じが秋田だけっていうよりかは、京都⇆秋田の距離みたいなのでできたら良いなと。実際は時差はないけど、そういうズレっていうか。

20180916_京都着

投稿:寺岡海

20180916_昨日のYESTERDAY

京都へ向かうフェリーのなかで、乗船客を対象にビンゴ大会が開催されるというので参加することにした。実は来るときも同じように開催されていたのだけど、それには参加できなかったので今度こそはという思いがあった。しかしビンゴ大会があるたびに思うのだけど、僕はとことんビンゴに関しては運がない。いままでビンゴになったことすら記憶の中にはない。

この滞在のなかで、偶然の出来事がたくさんあった。何かと何かが無関係につながっていった。例えば昨日、秋田最後の夜に飲み屋へ向かう道中、花火大会があったみたいで車中からそれをみることができた。ラジオからはビートルズの「yesterday」が流れていて、花火は僕たちの滞在のフィナーレを祝福しているようだった。そして今日、フェリーのなかで開催されたビンゴ大会の前座のギターの演奏でも「yesterday」が演奏されだした瞬間、ある点と点が無意味につながって、どんどんと出来事が横滑りしていってしまうような感覚に陥った。もちろんこの出来事に結論というか、だから何、みたいなことはない。ただ偶然にもそれが起こったというだけだ。ただそこでは、目的のないただそれだけの出来事としての強度が発生する。偶然というのは、それを構造にしようとするととても弱く、それが構造になった時にはとても強い。

ビンゴの話に戻り、ビンゴをやる前の紙にはもちろん穴は一つも空いていないから、1から100までの数字なかから自分に与えられた24の数字がずらっと並んでいる。それはこれから起こる偶然の選択肢である。そしてその中から起こった出来事が一つ一つ記録されていくのだけど、ビンゴが終わったあとにそれを裏返してみると起こった出来事だけが記録されていて、起こらなかったこと、つまり可能性のなかで起こらなかった出来事の方が見えなくなり、偶然に起こった出来事だけが自然とアーカイブされているような状態になる。
その可能性のなかで起こらなかったこと、見えないもの価値について考えている。いや、正確にいえば、もともとは等価であった状態が偶然によって偶然強度を持つ動きのことであり、それによって偶然強度を持たないものが発生するという可能性のある状態についてだ。おそらくそれはその瞬間まで私たちの目には映らない、価値のないものであったはずであり、それが偶然によって可視化されただけなのだろう。それはクローバーがベンチの下にあったように。
もうビンゴは終わってしまって、もうここからこの紙の数字が選択されることはないだろうが、現実はまだ続いている。少なくとも僕が望むのは、その起こった出来事と起こらなかった出来事を提示することで、それらを同じ地平に立たせることなのだと思う。

それはさておき、もちろんビンゴになどなるはずもなく、少しだけ欲しかったフェリーのポストカードも貰えなかった。

投稿:寺岡海

寺岡さん、来田さんお見送り

2018.9.16 8:35

秋田フェリーターミナル

投稿:藤本悠里子

20180916_秋田発

投稿:寺岡海

2018.09.15

寺岡さんインタビュー

2018.09.15

−尾道に行ってる時って何を求めて行ってたんですか?

海とか…、バーベキューとか…、プールとか…でしたね。正直に言えば。京都から尾道に行く時に、そういうイベントは実際あんまり関係なくて、直接的に。その中でそれぞれ制作とか考え事とかリサーチかなんかしてて。そこは行ってから、適当にしたり、展覧会前だったりしたから、宿題持ってきてあっちで制作してるとかしてて。…海とかでした。

-そこに「一人で」じゃなくて「みんなと」っていう意識はありましたか?

それはまあもちろん、ありました。一人で行くのは違うかな。ありました。「みんなと」っていうとなんかしっくりこない感じはある。結果みんなで行ってたし、普通の旅行と何が違うんやろうって。
(タバコ吸いながらでもいいですか)

(−全然いいですよ)

-秋田、何が楽しかったですか?

全部楽しかったんやけど、秋田って感じはあったかもしれないです。14日…、昨日か、昨日に向けてワーッと動いていってる感じとか、一番印象的で、秋田が楽しいというよりかは滞在していてて起こった出来事がようわからん感じでどんどん繋がって集約されていく感じが一番印象的やったし、まだ多分終わってないし。ダイナミックやなーっていう感覚が。ダイナミズム?なんやろう。みたいな感じです。

-後半に向けてあっちこっちで色々起こるのは分かるんですけど、集約されていく感じって同じタイムラインで追いついてくるんですか?

単純に國政くんが行ってとか金さんが来てとか、目には見えないけど別軸のタイムラインがあるっていうのが多分その2つの出来事で感覚的にあるんやなって。鳥海山登ってて、あっちはこっちから見てて、こっちはあっちから見てて。それについて考えるようになったっていう。分かるかどうかは置いといて。

-寺岡さんはこの2週間何をしてましたか?

最初のトークの時に、僕だけ何やるっていうのが決まってない。鳥海山に登るとか、焚き火したいとか、っていうことはあるんだけど、それが何か目的を目指してやっている。自分の制作に繋がるような感覚でやっているわけではなくて、尾道の時のプールに行くとか、海にいくとか、バーベキューするとかそれくらいのことで。最初は行けば何かやるやろうという感じで最初の頃はいて、やること決まってなかったからできるだけ色んなところについて行って、それで最初何日か過ごして、上小阿仁行って打ち上げして、男鹿行って、青森行って、それで自分の制作何かしようかなって思った時にパッと出てこなかったから、とりあえず持ってるプランみたいなやつを作ってみてもいいかなと思って、藤本さんにプリントしてもらったり、マイク借りたりしようとしたんだけど、やりゃできるんだけど、やる意味が自分の中でわからなくなって、「やめよ」ってなったんです。途中で。その「やめよ」ってなったのが、色んなことがあって集約されていって、っていうイメージはその時はまだなくて、その時、神馬くんは絵を描いてて、来田さんは隣で何かやってて、翔司もなんかやってて、自分がここでやるべき行為が、その作業を見てるってことが一番正しいような気がして、そうしようって途中で思いだしました。そこから、もう一回最初に戻ってなるべくついていこうと、翔司と一緒に風穴見にいったりとか、鳥海山ついていくとかとは少し感覚が違って、最初の「イベントとして」とは違うところにある状態から自分の中で制作には関係ないんだけど、でもこれが今自分にできる必要な行為だなっていうなんとなくの自覚がありながら、鳥海山登ってたり、それをすごいくっつけようとは思ってなかったりした。で、ワーッてなんかあって。さっき四つ葉のクローバーを探してて、青森行った時にその話出たじゃないですか。あったらいいなと思ったんだけどもまあええやと思ってて。でもさっきあったらいいなとやっぱり思ってきて、探したけど見つかんなくてもう少し探そうと。時系列ぐちゃぐちゃやねんけど、テキストいっぱい書こうとか。昔考えてた夢についての話とか、なんとなく繋がりそうな気がしていて、とりあえず思いついたことを作品に直接繋がらないことっていうことに対して、ちゃんとしようと思って。四葉のクローバーを見つけることは、そんなに自分の制作にとっては重要じゃないんだけど、今のところ。でも見つけたいなと思って、それを見つけたら何か残ると思って。鳥海山登って、写真撮ってもおかしいし、でも筋肉痛は残ってるとか、今このまま帰って、写真だけ残って四葉のクローバーを探したかったなって思うよりは探した方が良いなと思って、探して押し花にしようと思ってるのと、さっき言った帰りフェリーやし、ゆっくりできるからテキストとかそういう四葉のクローバー的なささくれを清算していこうかなと思っている。

-誰よりも、明確にやっていたことを話してくれました。笑

実際やってないよ何も。

-やってますよ。それは。意図を持って過ごし方を選んでるというか。そういうことをしてくださいというお題でもあったので。時間を使ってくださいっていうのは。死ぬからご飯食べようみたいなことじゃなくて、自分に必要なものを、アーティストであるとか関係なく、自分に必要なものを必要なタイミングで選び取るのを見してほしいということだったので、それはやってると思いました。

それは良かったです。わからんけど。

-この滞在が個人の何かに繋がると思いますか?

繋がりそうな感じにはなってます。明確にルートは見えへんけど、パーツみたいなものが見えてきそうな感じは今あります。予感はあります。核心までは全然いかないけど。自分の制作ずっと行き詰まり続けていたので、少し何か活路が見えそうな気はなんとなくしている気がする。実際それが具体化というか、アウトプット、作品として自分が許せる形でっていうのはまだわからない。自分の作品とかやってたことの見え方が少し変わった気がしました。

-見え方っていうのは例えば。

パフォーマンスについての話を翔司としてて、お互いの制作の話を確かしてて、「翔司はライブとかできていいよね、僕そんなんできひんわ」って言ったら、「海のあれもパフォーマンスじゃないの」ってことを言い出して、いまいち意味がわからなくて、それを額面通り捉えて一緒にやるとか、それでできるならやって見たいなと思って。そういうの苦手やけど。だから、マイクとか借りて、ライブパフォーマンスみたいな形でその時解釈してやってたけど、途中で違うなって思って。今回の滞在についての話を4人とかでしてて、その時のライブパフォーマンスという言葉が出てて、色んなことがどんどん繋がっていくこと、状態、藤本さんの修論の話とかも出てて、すごいその時イメージとしては藤本さんの修論がビヨンポイントにポンと置いてあって、それの資料として僕たちがやったこととか書いたテキストとかが載ってたり、なんかしらの形で会場からリンクが貼られていて、別の場所で展覧会やってるとか、滞在してるとか、みたいなイメージができちゃって。やれってことじゃなくて。ありえるなと。そうなると、すごい色んなことが結びついていっていいような形になった気がしたんですね。その四葉のクローバーでもいいんやけど。ってなると全部の出来事とか人っていうのが、その中の登場人物みたいになる状態があると思って、このSUMMER STATEMENTを一個の演劇というかパフォーマンスとして捉えて見たときに、役者がめっちゃ増えると思って。佐々木(ゆ)さんでもいいんやけど、佐々木(だ)さんでもいいんやけど、それを登場させることができるし、無限に増えていく。それは結論に向かわないただのキャラクターで重要じゃない。重要じゃないことはないんだけど。そういう状態になるなと思って、それをパフォーマンスとして捉えたら面白いと思って、その4人の話、SUMMER STATEMENTの話だったんだけど、それを面白いと思うっていうのは、多分自分の制作に近しい状態になっていると思って、っていうのが、色々今回起こったけど、偶然でもいいし、定期的なことでもいい、それって全然有り得ることやなと思ってて、そこに観測者がいた状態。いるとして一個に並べていって、毎日話したりする。見えてたりする。日常でも有り得るし、もっとすごいことが起こってるかもしれなくて、っていう状態。自分の制作でやってると思ってるのは、全部価値をなくした状態で、一個ポッて取り出す作業が一番理想なんです。価値のないまま一個をピュッて手に入れる感じ。それで良くってさっきの佐々木(ゆ)さんとか、佐々木(ゆ)さんはこのパフォーマンスに重要な人でとか、持ち上げたり持ち下げたりしない状態で「佐々木(ゆ)さんです」って。「雲です」って言えるのと一緒な気がしたんです。雲って「きれい」とか「造形が良い」とかそういうこと全く関係なくて、たまたまあるものをたまたま取り出して。そんな自分が考えている世界の構造みたいなのが、自分はこう思ってるっていう感じの状態に近いんだなっていうことを、4人でいる時に思って、こういうことやったなと思いだして、昔は考えてたんだけどそこから手詰まりになって、パフォーマンスとかいうことが自分の中で、キーワードとしてあがってきて、何かできそうやなって。四葉のクローバー探すだけでええんやって感じになってます。
(寺岡さんが上着を取りに席をはずす)
もうちょっとだけ話していいですか。なんやったっけ。忘れました。そんな感じです。

-この4人、5人、6人、9人、200人、1000人の。みんなの、続き。自分の続きじゃなくて、この滞在を一緒にやった人たちとの続きはどう考えていますか?どうなったらいいなって。

12月のトークとかビヨンポイントとか?

-そういった具体的なこと踏まえても踏まえなくても、これまでの尾道滞在から秋田きて、来年どうなるやろうとか。

さっきの話に近いんやけども、今回は得られたことは個人的にはあったけども、それを目的として実践したわけじゃないので、次はそれを実践して見たらどうなるんやろうっていうのは思います。最初、SUMMER STATEMENTと言っても良く分かってなかったんだけども、あれ、特に何もないんです。僕の中では。だけど、それに入れ込んでいい骨格みたいなのが、見つかった気がして、それをやろうとしてやったら、どうなるんだろうって思ってます。それが実際もう一回秋田に来てとか、違う場所にみんなで行ってとかはまだわからない。でも今自分が思ってる構造を使えば、際限なく続く本みたいなのが作れると思って、意味ない本。意味なくないんだけど、意味のないものを意味のないまま回収できる本みたいな、作れるのかなって思ってます。実際どうなるかは別だけど。そうなると「アーティスト」みたいなのが一旦なくなると思います。全部等価にしてから始められる。です!

-その地平が見てみたいなとずっと思ってます。

僕も思ってます。でも、これはたとえ話で、抽象的なんだけど、WEBにも書いた空と海との境界線がわからなくなるのが良かったなと。水平方向と垂直方向がわからなくなったら、交わることは絶対ないので、それがごちゃってなったらめっちゃきれいやなって、「ただでかい空間あります」って。単純に夕焼けきれいやなって。

-あれ、遠くの方で空と海が重なって見えてましたけど、遠近感もわけわからんくなってたじゃないですか。自分はここに立ってて、あそこに頂上があって、さっきまであそこにいて、歩いたから距離があるのはわかるけど、よくわからない。近景と遠景が一緒になっているみたいな。全部ビタッて。それはすごいなって思いました。山とかじゃなくて、自分が許容できる以上のスペクタクルを見たから理解できなくなって、ビタってなったってことじゃなくて、そういう視覚的な限界の話じゃなくて、もっと別のところでそれが起きるんじゃないかなと思っています。

うん、そう思います。やばそうやな。

-山になるっていう。行くとかじゃなくて。アーティストが山である状態に連れて行くっていう。鑑賞者に登山をさせることが作品みたいな…

…この滞在で一番おっきかったのは、最初は肯定しきれなかったことが、ここでできるようになった感じかもしれません。

船川さんインタビュー

2018.09.15

−今回の滞在で何か面白いことありましたか。

すごい読み解いていけば目的はわかってる気がするんですけど、留保された目的みたいな感じで読むこともできたし、その上で生きた作家として滞在するために呼ばれて、上から藤本さんが見ているとか、監視カメラがあるんじゃないかとか、っていうのがあるから、ある自由さみたいなものを持てて、制作の外みたいなのを言ってたんですけど最初、それが美術作品の外っていうことはたくさんあったりする気がして、音楽的なアプローチって美術作品では再現できないし、パフォーマンスもそうやし、観光ツアーとかも芸術作品として作品化できない普通のことがあると思うんですけど…めっちゃダラダラ喋ってもいいですか?

−いいですよ

そういうことを普段自分が考えている中で、どこかで美術作家として呼ばれていると思ってて、それで滞在しなきゃいけない。でも作品を作らなくてもいいっていうことが、作家としてのアプローチとして、僕が常に持っているテーマを起こすために、秋田犬から男鹿に行くまでに作品を作る思考が働いたりとか、僕の名前を辿れるとこまで辿ってみようっていうのも作品の思考として考えているところがあって、っていうのがあるんですけど、それが作品化しないとか、できないような踏み込み方で行ったら失敗するとかっていうのがないから。目的が留保されているから。スッと調べられる。調べたら調べただけ普通にわかっていっちゃうっていうのが面白くて、こういう風な巡り方を作家として現実に対してあまりできてなかったなと。それがすごく楽しくてどんどん普通にわかって行くから。野良犬のことでいうと保健所に電話したり、船川のこと役場に尋ねたり、近くにいた運送会社に聞くと実際にもの配達してるから街の状況よく知ってるし、どんどんわかっていって、これはなんなんやろうなって。わからない部分が欲しくなったんですよ。そこに飛躍があって、そこにすごい自分の作品っていう思考が別の飛躍が、船川と犬っていう、僕を野良犬と例えて秋田犬の果てを親犬と例えて、そこで会える場所を探すみたいなことをなんとなく思っていて、それは自分の作品で会える場所を抽象化していって、作品にすればいいなと思ったんですけど、そういうところがないから、行けばいいと思っていっぱい探してて、風穴あって、このひやっとする空気が出るところはなんなんやろうみたいな感じで、こうあって欲しい体験っていうのが、本当にひやっとしたんですよね。この体験の見事な、自分の想定したものがそこで巡り会えたって感じがちょっと腑に落ちちゃったからどうしようって感じなんですけど。そういう流れがある中で、自分の中で飛躍を持てる場と成り得た。目的を留保することで作家としてそう向き合う感じは、すごい面白かったです。飲み会の時に、高嶺さんが僕とさやさんに、「無人島に行っててどうやってドキュメントとして扱ってるん」って。「場所にいて、来た人に話して説明していくのが一番早いっていう感じになってしまってますね」って答えたら、「そっか、でも自分も作品を作るときに狙いを持って体験とかを回収する自分がいて、もっと一万年前とか原始人の人とかの体験をしてただけで、社会的に反映されるような体験とか美術作家も社会性のある存在としてあると思うけど、何か還って行く体験としてやってるんじゃなくて、ただそうしてるみたいなことが一番良いな」と言ってて、それは面白いなと思った。そういうことも自分の中で、頭の中でおっきいことやなと思ってました。

-今回の滞在自体が個人の活動や何かに繋がりそうですか?

全然繋がりそうです。目的進行ではなく、なるべく体験できることを体験して事後的に何かを拾い上げるっていうことの面白さを思ったから、そういう部分は影響されるかなと思っています。元々目的を決めすぎないところもあったりするので、作品もぼやっとした部分が常にあると思うんですけど、もっとそれして良いなっていうか、それをしきれてない領域があるんかなと思いました。わからないですけど。

-船川さんて個人で活動するときと集団で活動する時って自分の活動のスタンスって変わりますか?

割とそういうのも考えたりして、良いところもあり悪いところもあるなと思うんですけど、自分一人の時は、すごいどんどん掘り下げていく楽しみがあるんですけど、それを人といるときに発揮できないなと思うことがあって、割と人といる時、全部諦めるっていう、なんでも良い、なんでもOKに無理やりするっていうところが結構あります。

-今回も?

今回も。だからすっごい楽です。自分の中でこうしたいのになっていうのが出てくるのが、無駄やなって。あっさり反対する。さやさんと何かする時もそう。全部諦めて、一回諦めて自分ができることないかなって。諦めたら自分ができることあるかなってそういう風に考えますね。

-これまでの滞在もそういう感じやったんですか?

そうですね…。じゃないと結構一人の方が楽やなって、一人でやる方に行っちゃう。諦めないとできない。

-前回までの滞在に旨味を見出してないと、行かないという選択もできるじゃないですか。だけど、継続して行っていたのは、何を求めて行ってたんですか?

元の子もない話なんですが、スケジュールが空いてて、人に誘われたら全部良いっていう風に絶対するっていうのがあって。空いてたから行ってたっていうのもあるんですけど。別に京都で会わないんですよ。そんなに。だけど尾道の滞在でできた関係性っていうのがそれこそ目的なくできたことやったから。集団っていうことでもないし、あの時の友達感が強いから。作家としての旨味っていう部分を置いといて、行きたいなって思えるのがありました。

-今までの滞在って場所性って重要視してましたか?

重要…。秋田に来て秋田っていうのが重要になっていくっていうより、秋田に来て、辺境を見つける、その場所の辺境を見つけるっていうことなので、そこまで重要じゃない。別のどこかだったら、秋田に行って秋田犬のことが絶対わからなきゃいけないということもなくて、もっと秋田犬に成り替わる何かに行ったはずやし。それがどこかでも良いはずと思ってるので、そういう意味では重要じゃない。どこでも良いようにしときたいということは、割りと思いますね。どこでも誰でもできるような感じっていうのは考えてます。

-3年目から栃木行くぞってなっても?

それは普通に驚きますよね。それだけ。えー!へー。って。それとは別に尾道の関係性、秋田の人たちとの関係性を考えますけどね。そういう意味では誰でも良いとかどこでも良いとちょっと違う。尾道と秋田とかが繋がって行くような考えをしますね。尾道っていうところで周りの世界があって、人がいて、この人とこの人っていうのが表立って見えて、尾道があって秋田行って、表立つ人がいて、尾道でいうこういう人がこの人かという対応関係があって、そういう風に自分で関係付けているところもあるので、バスっとは切れないです。

-今回学生と結構一緒やったじゃないですか。それはどうでした?

なんなんやろうなと結構思いながら。自分も1つの素材に向き合ってやり続けるとか、1つのメディアに向かってやり続けるとかじゃないけど、作家の夏休み感はそっちにもあるなって。捕鯨の人に聞くインタビューの感じとかは学生って感じやけど、行こうとするところはどこ目的にしてるんとも言われかねないようなところを持った人たちが多くて、多分それは京都の美大とか東京の美大にはなくて。京都にいてもキタオットセイはどこにも打ち上げられてないし、要件づけられた開き方みたいなのは、学校自体の思惑もあるけど、そういう風に人が自然に生きてる感じがすごい不思議。面白かったです。

四葉のクローバーをみつける

2018.09.15


「秋田の大学で見つけた四つ葉のクローバー」


青森県立美術館の前で四つ葉のクローバーを探す」

滞在の最初のころ、青森県立美術館にいったとき、美術館の前の芝生の広場で四つ葉のクローバーを探していると、子供達がうわーっと駆け寄ってきて、なんやかんや言っていたどこかへ行った。その時は子供ってすごいなと思ったくらいだったけど、滞在も終盤になり、なぜかその時話題に出てきた四つ葉のクローバーを探すことがこの滞在にとって重要な意味をもつのではないかと思い、秋田の大学のグラウンドで2時間ほど探して、なんとか見つけることができた。意味のないことを意味のないまま接続し、この滞在の重要な場所に据えることがこの滞在に対してふさわしい気がしたのだ。

秋田の大学でクローバーを探し始めた時は、すぐに見つかるだろうと思っていた。なぜなら大学生のころに、四つ葉のクローバーは意外とあるときいて、探したら意外とあったので、そう思い込んでいた。なので探し出して1時間ほどたったときには、絶望感に襲われていた。もしかしたら徹夜でクローバーを探さないといけないかもしれないという最悪の想像をしつつ、一度藤本さんからの滞在についてのインタビューがあるので、一旦クローバー探しをやめて近くのベンチで話をした。そのベンチは滞在中の制作スペースとして与えられた場所から近く、気分転換にそこでタバコをすったり、テキストを書いたりした、個人的には大学内では一番思い出深い場所だった。今回の滞在についてのインタビューのなかでは、四つ葉のクローバーを探したいという話にも触れた。言えなかったが、もし見つからなければ徹夜でクローバー探しを手伝ってもらえないだろうかと考えていたりもした。小一時間ほど話をしてから、藤本さんがシュークリームを買ってきてくれるというので、それまでまたがんばって探すことにした。「四つ葉のクローバー」「見つけ方」なんかでググったりしたら、見つかりやすいの6~8月だとか、可能性は0.001パーセントだとか、なんなら人がよく踏む場所にできやすいらしいから、ということは今自分が探している場所ではなくて、自分が座り込んでいる足元にある可能性が一番高いのだとしたら一生見つからないんじゃないかという思いにも取り憑かれたりした。結局見つからず帰ってきた藤本さんとベンチでシュークリームを食べることにした。藤本さんが買ってきてくれたシュークリームは今まで食べたシュークリームのなかで一番おいしかった。で、まぁ結局シュークリームを食べ終えたあとふと目を落とすとそのベンチの下に四つ葉のクローバーがあったんだけど。シュークリームおいしかったなぁ。

投稿:寺岡海

20180915_鳥海山の写真を見る

投稿:寺岡海

これが、あの、鳥海山か…

投稿:船川翔司

神馬さんお見送り

2018.9.15 9:38

新屋駅入口 バス停留所

投稿:藤本悠里子

船川さんお見送り

2018.9.15 9:20

新屋駅

投稿:藤本悠里子

20180915_前ピン

投稿:寺岡海

2018.09.14

神馬さんインタビュー

−これまでの滞在のこと寺岡さん以外の方から全然聞いていなくて、どういうものやったのか教えてもらえますか?

滞在?寺岡くんと変わらんと思う。あの感じ。ほんまにあの感じよ。4年くらい尾道に行ってて、めっちゃ普通やで。普通に4人くらいでアラヤサンくらいの、あそこよりこじんまりした感じ。そこに泊まってたし、自分のスペースっていうほどのスペースもなかったから、本当に居るだけ。どっか行くってなったら、鳥海山行くみたいに、行くやつと行かんやつみたいに分かれて、帰って来たら行ってどうやったって話をして寝るっていうのを1週間続けてっていう感じ。

―神馬さんは絵を描いてたんですか?

もちろん描いていた年もあれば、何もしてない年もあったし、海くんみたいに写真いっぱい撮ってた年もあって、特にどうしてたって感じではなかった。やってきて描いて帰るみたいな感じ。そんなに何かしてたわけでもないけど、何もしてなかったわけじゃなかった。その時も尾道市立大学の先生と話したりとか、滞在中に先生が運営しているスペースに行って、交流会したりとか、最後の日にバーベキューして帰るとか。そんなんはあったから、自主的にこうしたいと思ったことをやって帰る。レジデンスっていう感じではないと思う。尾道でやってたのは合宿みたいな感じ。強化合宿みたいな感じの方が強かった。

―そこに求めるものがなかったら行かないっていう選択もあるじゃないですか。だけど、毎年行ってたのはなぜですか?誘われたから?

いやいや。最初は俺とゆうまくんと海くんで行きだしてるから。それに関してはあんまり考えたことなかった。なんかあるから行くとか、何もないから行かないということではなくて、行ってどうしたいということを考えてただけやから、そんな感じよ。難しいな。その質問が難しい。単純に行ってただけやで。ほんまに単純に。こういうことってさ、成果を出すとか、アーティスト・イン・レジデンスにおける成果発表とか、それに付随するキャリアとか、どこのレジデンス行ってましたとか、っていうものになるじゃない。ある意味でちょっとした副産物みたいな。それがない状態で行ってる感じ。最初の僕らは、尾道にただ単純に行って、旅行して帰ってくるっていうのとあんまり変わらない状態で、その土地でどういう風に振る舞うかを考えてた。滞在するアーティストとビジターの立場があまり変わらない状態でそこに居るっていう感じやった。それがどうこうなるっていうことじゃなくて、何か経験を持ち帰れば、それでいい。っていう感じやったってこと。どうにかなるとか思ってない。どうにかなるっていうよりか、そこに居ることで得れる経験を得たらそれで終わり。それで行ったら次の年も行こう、次の年も行こうっていう風になっていった。それは得られた経験に意味があったから。

―今年は違いましたか?

場所が違うからね。秋田…。今年はどうなんやろう。どういった違いがあったか考えた時もあったけど…。あんまり変わらんのちゃう。ある程度、どうやってやって来たか知ってるじゃない。それをこっちでやろうとするっていう感じがあったから、なぞる感じはあったかな。それは尾道の1年目以降はずっとそうやねん。あの時のことを別の人も呼んでやろう。その時のことを別の形にしよう。そういう意味では、今回もメンバーは少し変わるけど、あまり変わらシンプルなプランで来たからなくて、場所は移って、その話を前提にしてくれていたから、滞在としての雰囲気は全然一緒。っていう部分もあったり、大学のプログラムやから、ある程度そういう意味では予算が出てたし、責任ってわけじゃないけど、ちょっとそういう面もあったと思うくらいかな。アーティスト・イン・レジデンスっていうもの自体を考えるべきやなと今回は思ったりした。前は旅行とか滞在とか生活っていうことを考える感じやったけど、そん時は誰もいなかってん。自分たちを見る人が。自分たちが見てくれって言わないと、見てくれないし、見てくれと思っているのか?っていうレベルでやっていたから、誰もいない。自分たち以外。それを理解している人が。今回は大学自体もそのプログラムとして成り立っているし、藤本さんが観察者としているとなっているのは大きく違うなと思った。秋田に関しては。僕たちは同じように振る舞うっていうことを課せられて、それに対してそれを見ている人がいるなっていう意識はちょっとあった。面白かったけど。それは。

−見てる人がいるなってなったらちょっと変わりますか?

それは変わる。やらないといけないことも増えるし、僕は別にそんな前々からそうやし。別にそんなにやで。前も同じ感じ。絵を描いて帰って来て、絵描いて、みんなと一緒に行動する時は行動して、こっち来てもそんな変わらなかったし、今回はスタジオっていうか、スペースがあったから、前より全然やりやすいようにできるなって。前やらなかったことをやろうと思って、ああいう風にしたけどね。スタジオでずっと制作してるのと同じような滞在の仕方。前は外でスケッチとかやってたけど、やから熱中症になったりしてたし。そんなんはなかった。今回の滞在に向けた意気込み、滞在に向けて準備して来たものが普通にペインティングを一枚仕上げること。シンプルなプランで来たから。

−今回の滞在で何か特別なことはありましたか?

秋田の人に会ったり、久しぶりに國政くんに会ったりとかは良かったなと思う。逆に僕は何かあったように見えない?

−今回神馬さんは滞在期間中いろんなことに考えを巡らしているんだろうと思っていました。

そんな感じやったよ。単純に良い滞在やったというのはそう思う。いろんな人に出会って、いろんな人と話したし、それによって考えないといけないことがあるなーということは無茶苦茶あった。例えば、滞在制作とは?とか、絵ってどうなんやろう?とか、作品を作ること自体の秋田と自分が住んでる京都の倫理観の違いとかはすごい感じたりした。

−例えば?

絵を描くっていうこと自体を見てない。こっちの人…、だから、なんて言えばいいんやろう。普通に絵を描くっていうことを普通にできる環境じゃないんやなって思ったりした。それは、当たり前のように絵を描いてる人が多いし、僕の周りには絵を描く人が多いから、絵を描いてる前提で話せることが多かったりとか、絵を描くことはどういうことか理解している絵を描いていない人とかもギャラリーで展示した時に見にくる人で多いけど、そもそもなんで絵を描いてるんですかっていうことに立ち返った感じはある。秋田で。ここで絵を描いている子もいるけど、ちょっと理由が違ったりする。絵画を描くっていうことを僕はすごく常識的に考えていたけど、少しちょっと違うかなと思ったりした。だってそんな感じあるじゃない。もうすでにあるじゃない。藤本さんも。絵って何?絵をやるって何?ってそんな感じはあるでしょう?もう全体的にある。僕が会った人全員に、絵がどういう効果を生むかなんて、特にあんまりわからないというか…、どっちが合ってるとかじゃないけど…。滞在して良かったと思うのはそこ。ちゃうねんなーって、ちゃうなーって思いながら絵描いてた。

−ちゃうなーって思うのは見にくる人の反応からそう思うんですか?

いや、伝わらない感じとかはある。僕の絵がぼんやりしているのもあるけど、あんまり内容に入ってこないというか…難しいな…絵を見ているようで見ていないような感じがする、うーん、どこ行ってもするんやけどね。面白いと思ったのは、滞在していてて、青森には行ったけど、結構スタジオに来て絵を描いて、帰る生活やって、それが何かをしていることにはならないっていう感覚が少しあった。この滞在をしていて。そうではないじゃない。滞在するってそういうことだよねって思ったりした。僕は別に何もしていないわけじゃないけど、何もしていない感じになっているなと思ったりしていた。わからないけど、すごく不思議な感覚に陥った。秋田で。尾道でもそうやったけど、尾道はこんなにしっかり制作できる環境じゃなかったから、色々なことをやりながら制作をしていたけど、ここでは普通に制作できるような環境が整っていて、やれば絶対1個くらいは作品できるやろうって思ってやってたけど、それはそれをしたらどうにかなるってことじゃないんやってここでは思ったかな。芸術とかを考えた時にね、めっちゃ難しいなって、こんだけ豊かな自然の中で、外に出て行かへん方がおかしくて、それを見に行って得られた経験の中で作品を作るっていう風になった時に、圧倒的に籠っていることが意味のないことに感じていく感じがあって。そんな感覚がありながら制作していた。絵を描くってなった時に、急に機能しない環境もあるんやなと。自分のやってることが機能しなくなるっていうことがあるんやなとこの滞在で思った。それで、全部が機能しないっていうことではないとは思うけど、難しんやろうなと感じていた。ここにいる先生と話したりした時に、ハードの部分、ハードウェアの部分じゃなくて、ソフトウェアの部分というか、みんな形式を持たなくて、プロジェクトというかアートプロジェクトとか、プログラミングとかキュレーションとか、もう少し大きな枠で活動している人が多いなというのは、秋田の環境で自然にそうなって行っているんやろうなと、ここですげーミニマルな絵を描いたとしても全く効かへんやろうなと思うし、それを誰が見んねんっていう気持ちにみんななるやろ。そういうのはめちゃくちゃ思った。滞在中にね。一方で自分が何もしてないわけじゃなかったし、それで考えていっていたことがあった。それはすごい面白かった。僕が作品を作るために、街に行ったり、駅に行って画材買ったりとかしてたけど、そこにいくっていう選択肢がないんやなって、すごい人が少なかった。秋田の街とか駅とか、行った時にね。ここに人がいないんやって、それまで僕は日常的なエッセイとかを作品にしたいと思っていたし要は内在している感じ。自分の中に問題が内在していて、それをエッセイにしてペインティングにするから、日々の生活が重要やったりする。当たり前に朝起きて、飯食って、スーパー行って制作して、バイトして帰ってとかの中で、問題が見えて来たらいいなという感覚があったんやけど、そこの生活っていうレベルに面白さが全くないと思っているんやなっていうのを、感じている。僕は。秋田でね。男鹿に行ったりとか、どっかに行ったりとか、秋田らしいとこに行って、そこで吸収するものがある感覚はあったし、青森行ったりとかしてね。地方に行った時に地方の都市の街の感じから得られるものって確かにないかもなと。同じ風景。どこ行っても。

-イオン。

イオン、マックスバリュー、駅周辺コンビニ、スタバ、ちょっとおっきいデパート、ちょっと行ったら何もない。で、イオン。で、マックスバリュー。みたいなそんな感じになる。そんな常識の中で、生活してたら、どういう心境なんやろうって思って歩いてたりとか、橋の方に行って変な人がいたりとか。不思議な感覚やったずっと。非常識じゃないけど、自分自身の常識が通用しないというのと、ここの常識がわからなくなっていくのがあって、それで作品がどんどん普通って何?常識って何?って考えながら作っている時間がずっと今回はあったかなと思ったりしてて、描いてる絵も財布出してお会計してるめちゃ当たり前のシーンというか、何これみたいなシーンやから、なんかできそうな気がしてる。そういう意味では、作品が。作品ていうか、考えることが一個増えたなっていう感じがある。本当に別に秋田に対してとかじゃなくて、自分自身の中で、考えたいことが1つ増えた、普通の意味で。常識とか倫理観みたいなものを考えるの大事やなーと思って、芸術の意味、自分自身のやっていることの意味を正しいと思うことと、それが正しくないという状況とか環境もあるんだよってちゃんと理解できたし、それでそんな感じのところってどこかっていうのを身を以て体感して、良かったなと思うけど。めちゃ面白かったけどね。そういう意味では。尾道とはまた違うかな。そういう意味では。そういう感じ。滞在に意味が出て来てしまう。自然に。藤本さんが作ったパッケージがあって、それの中で僕たちは活動してたから、自分たちが作ったパッケージじゃなかったことが、この滞在に対しての意味をすごく作っていってるなと思いながら、滞在してた。ちょっと難しい話になってしまったな。もうちょっと話せると思うねんけど、普通に何もしてない感じやともうちょっと話せるんやけど。

−なんもしてない感じ?

もっと、朝起きて、の感じとか。ここ歩いて来て、の感じとかあるけど。それうまく言葉にできひんかもしれへん。それはみんなで後で話す時に話したらいいなと思う。あんまり自分のこと自分で話すの得意じゃないかも。

−じゃあ、この滞在の続きの話、自分のことでももしかしたら京都と秋田で何かあるかもしれないことも踏まえて、これの続きどうしたいっていうのありますか?

あー。もう一回くらい何かあれば良いなと思っているのはある。滞在っていうわけじゃないけど。それは思ってる。あと、さっき話してたような話。京都でなんかやるってなるのは普通に滞在についてのこと話せば良いかなと思っているし、それはすごい色んな人がそこに来たら良いと思う。もう一個の展示については、本当に僕たちのフォーマット次第かなと思う。藤本さんが中心になって、どう構成するかに、僕らが提案できればなと思っている感じ。普通にすんなり作家として展示する方法じゃなくて、今ある藤本さんの修了の成果物というパッケージを生かしながら、僕たちも滞在するか作品を参考展示というか、協力するっていうのが良いかなと思っているかな。個人的には、さっき言ってた話は、秋田の話じゃないやん。もっと人生の教訓を得た、みたいな話やん。それを作品になるっていった時に、秋田を舞台に一個シリーズを構成するっていう風なのは面白いかなと思っている。教訓についてエッセイでも良いし、ペインティングを何枚か描くでも良いし、それとは別の媒体で何か作っても良いんだけど、そのシリーズを作ること自体は秋田を舞台にするっていうのやったら面白いなと思って。小説の舞台が一個あるじゃない。都市が決まってて、この都市で起こった小説。舞台は秋田で。っていう感じで秋田に関われたら、作品としては面白いなと思っている。小説っぽい感じになったら良いなと思ってる。舞台があって、そこで起きたエピソードを記録しているっていう書物の状態を色んな媒体でやる。っていう感じになれば楽しいかな。という気がしてる。あと、この滞在もそんな感じやったしね。藤本さんが企画して、藤本さんが企画したという状態で、僕らが滞在してて、滞在中に上にいて、僕ら下で制作しててっていう状況ですでに、演劇みたいな状態になって。僕らが舞台に立ってて、演出家で、たまに来て、「どうしますか?鳥海山行きますか?じゃあ行ってきます」って言って、それで舞台が変わって、残ってるやつが練習してて。そういう意味では大枠でキュレーションしている状態。レジデンスのアテンドというよりは、展覧会、演劇を1つ作っているような感じに参加している感じはすごくあった。それは、面白いなと。それはアーティスト・イン・レジデンスという枠組みから少しずれてるっていうことやねんけど。それに、着目した方が面白いんちゃうんかとは思ったりした。内容として。話でもそういう話してたじゃない。そうじゃなくて、既存のそういうフォーマットじゃなくて、少しずれる形っていうのはそういう感じ。海くんが「もう何もできひん」って。「何もしてないし、何もできないし、どうしたら良いかわからん」って言ってて、藤本さんが「それで良いんです」って。「いや、良くないし」「良いんです」「良くな…」っていうことはどういうことや?ってなったらこれはそういう作品やって思ってしまうやん!僕とかは。そこで見てる人は。横で見てる参加者は。「あーなるほど、それで良いってことは…、それで良いってことなんや!」って。その瞬間にズルってずれるやん。滞在の目的が。アーティスト・イン・レジデンスは何かしなくちゃいけなくて、何もできなかったごめんなさい、でOKやねん。アーティスト・イン・レジデンスは「滞在が終わってから何か成果物が出せたら良いですね」とか、「今回はリサーチだけでってことで」って。でもその状態で良いってなったら、この滞在は何?!ってなるやん。それが、何なのかやん。それを何というか。共同で生活することとか、共同である一定のイベントを共にすることとか、どういう風な感覚でどういう風な形式で話すんやろうっていうのは楽しみやったりするけど。そのちょっとしたズレが僕らをちょっとした変な、話し合いになっていく感じに、なってたような感じがする。それで良いんです。良いんかな?良いねんけどー、良いって何?!。それがビヨンポイントで俺ら何を出すのってなって、藤本さんがビヨンポイントで展示したら良いやんってことになったのはそういうことやねん。

−あー、私が良いって言ってるんですもんね。

良いって言ってるっていうことはそこに何かある。僕たちは今制作をしているっていうことじゃなくて、藤本さんオンリーで一人、美術作品を制作をしている形になっている。美術作品というか、芸術に関する何かを記録しているのは藤本さんだけで、僕たちはそれに参加しているのだとしたら、このことはビヨンポイントで展示するのは藤本さんだよね。って。「それで良いんです」っていう根拠をさ。示せたら良いやん。論文で。それは僕たちを使って形にできるような展示になったらそれはそれで面白い。今回の滞在の特殊性っていうのは、考えればめちゃくちゃ出てくるし、それをどうやってパッケージするのかも任せるけど、変なのに参加したなと。尾道っていうよりかはこれがどういうことかっていうのを途中で考え出して、あんときはどうやったとかじゃなくて、これが何を意味しているかをもう少し考えなあかんなとなって来ていてた。秋田とかじゃない。どういう状態?今。みたいな。飯倉さんが昨日、休みを与えるっていう状態をどういう風に考えるかっていうのは面白いなという話をしてたよ。プログラマーとしての見解。何か機械に「休んで」ってプログラムしたら、スリープ状態は眠る状態やん。その状態じゃなくて休めっていうのはわからないじゃない。今の所ね。それを与えてるっていうのは、船川くんとか言ってたけど、休んでくれみたいなことを急にパソコンに言って、急にYOUTUBEとか見だして、ぼーっとしだすことないやん。それがあるっていうこと。その状態を作るっていう。夏休みっというより、休む状態を与える。っていうことがどういう意味を為すか考えるのは面白いよねーって言ってた。ほとんどのことがAIになったら、休むって仕事になるんちゃうかとか。人間のね。っていうこととかを話してたりしてたし、「それを本人がどんだけ意識してるかとか、どんだけ詰めれるかっていうのは、考えれたら良いよね」って言ってた。その差異をちょっとだけ詰めて、次の形が見えたら良いよね。秋田で。京都は京都やし。僕らっていうより大学の広報やから。あんまり、あれせんでいいと思うけど。秋田でもう一回来るってなった時に感じはもうちょっと考えたいなっていう感じかな。楽しみやね。どういう論文になるか。

−そうですね。楽しみですね。書くの。

ちょっとちゃうと思うけどね。飯倉さんの。ちょっと自分の専門領域に特化した話。下道さんとか、ミヤギフトシさんとはちょっと違うよね。ロマンティックな感じじゃなくて、もっとシステマチックなクールな構造。本当に機械に置き換えたら、どういうことになるかっていうことを考えた時に、っていう感じ。色んな人に聞いてみるのが面白いかも。これから。僕らの滞在を。それをどういう風に言葉にしていくか考えるのは楽しいと思う、っていう感じかな。

−ありがとうございます。

この滞在について、ちゃんと話せてない気がする。なんか言葉にするはするわ。また後日。まだうまく喋れてない。秋田のことに対して。ちょっとわからないね。俺は。全く見えない。

焚き火

投稿:船川翔司

焚き火

投稿:神馬啓佑

20180914_焚き火

メモ

投稿:寺岡海

京都から自転車で秋田に来たKさんを迎えるための焚き火

2018.9.14 21:18

新屋海浜公園 ももさだカエル付近

投稿:藤本

さがせ必ず有る

投稿:船川翔司

20180914_鳥海サッカー筋肉痛

筋肉痛は、筋肉に負荷がかかることで筋肉が損傷し、それがより強い筋肉に再生する時(超回復)に周りの神経を圧迫することで痛みが起こるのだと、なんとなく聞いたことがある。
僕の体は普段の生活によって作られている。生活に支障をきたさないように筋肉は成長し、私たちの生活を可能にしている。だが何かしら普段の生活から離れた動きをするときには筋肉はついてこれず損傷し激しい筋肉痛を引き起こす。

今自分の体にある筋肉痛は、山に登ることによってこの体を損傷させたものであると考えれば、この体にある筋肉痛は山の造形を痛みとして変換しているとも考えられる。山の写真を撮ることよりも、それは直接的にあの時の体験を保存している。しかしこの体は再生することをやめないので、この体に残る山の造形ももうすぐ消えてしまう。

鳥海山がこの地面を歩いていけば辿りつけるのだが、それは時間や空間のなかでだんだんと遠く、同じ地平にあることを忘れてしまう。日常のなかの体の痛みと、登山によって引き起こされた痛みは同じ空間のなかにあるはずなのに、顕著に現れたこの筋肉痛は遠くにそびえ立つ山のように、遠くこの日常とは違う場所に行ってしまったように感じる。

だから僕はサッカーをした。サッカーをすることで登山とサッカーという筋肉の痛みを混ぜ合わせることにした。それはこの体に残る山の造形と、サッカーによっておこる造形を身体化することであり、それはまた、あの山頂とこの場所を身体を通じてつなげていくことでもある。そうすることでこの同じ地平に山があることを僕は認識できる。

とはいうものの、ただあの山での経験が、腑に落ちなくてモヤモヤしているだけだったり、ただ単純にサッカーしたかっただけだったりもするのだが、ブレンドされた体の痛みは、今までにない変な奥行きを持った痛みであり、少し心地の良いものである。

投稿:寺岡海

20180914_夢の写真と筋肉痛

ほとんどオカルトのような話だが、夢の中の写真を撮りたいと思っていた時期があった。夢の中でカメラを取り出し、それを撮影して目が覚めてからそれが現実のカメラの中に残っていれば、というありえない状況を望んでいた。
そんなことを考えていると、夢の中で撮影をする機会は幾度もあり、その度に飛び起きてはカメラを確認するのだけれど、もちろん何も写ってはいなかった。そんなことを続けるうちに実際に夢の中の写真を撮ろうとすることはやめてしまった。しかし、夢の中の写真を撮ろうとする時に起こりうる不可能や、その構造について考えていると、それはある違ったかたちで可能になるのではないだろうかと思うようになった。おそらく私たちは、夢のなかから何かを取り出し、この現実で再生している。いや、言い換えればこの現実自体がそのような構造でできているのかもしない。

鳥海山にのぼり、筋肉痛に襲われている。太ももからふくらはぎから、腕やおしり。いろんなところがいろんなふうに痛い。だが、この筋肉痛も明後日にはやわらいでいるだろう。いつまでも続きはしない。
山にのぼって景色を眺めていると、この時の体験は決して山から持って降りることができないだろうと思っていた。いや、できたとしても、その時の感覚とは違うものである。これはこの場にいることによって成立することが可能となり、下山した時には何か違うものに変わってしまうのだろうと。

今は山の写真を眺めるよりも、この体に残り、消えていく筋肉痛さえも、愛おしく思える。

投稿:寺岡海

2018.09.13

20180913_栄月

メモ

「アーティストについて」

山に登って、降りている時にはもう日は暮れ出していて、尾根沿いを歩きながら山の中腹から海に沈む夕焼けを眺めている。多分そんなシーンがあった。
その時に、その前にも話していた気もするけれど、海と空の境界がわからないという話をした。

今日サンノに帰り、それぞれの作家と話していて、アーティストという制度や状態について話してをしている時に浮かんでいたのは、その光景だった。水平線は消滅し、水平方向と垂直方向の境界がなくなることによって発生した空間は、この世界の認識を少し歪ませることに成功していた。

投稿:寺岡海

サッカー

2018年9月13日17:30

秋田公立美術大学 グラウンド

投稿:藤本悠里子

とわだ

投稿:國政サトシ

20180913_鳥海山

メモ

予感と確信
袋小路
回収される地平
海と空の境がわからない(水平線)
テキスト(書物)
感動が減らない
経験の圧倒的な不可能さ
すべてがバラバラなまま回り続ける[ばらな花)
際限なさ(フラクタル)

投稿:寺岡海

2018.09.10

よだれどり

投稿:神馬啓佑

20180910

投稿:寺岡海

Kくんの家

投稿:神馬啓佑

2018.09.08

20180908_青森

メモ
雨月物語

投稿:寺岡海

2018.09.07

きりたんぽ、

投稿:神馬啓佑

20180907_男鹿

(秋田市に帰ってきてみんなできりたんぽ鍋を作る様)

投稿:寺岡海

男鹿半島上陸

2018.9.7
男鹿半島

(秋田市に帰ってきてみんなできりたんぽ鍋を作る様)

投稿:藤本悠里子

20180907

メモ

「昨日を今日、編集すること」

感傷の構造
→人が感傷に至るための構造は、どんなものか。


ホワイトボード
→ホワイトボードを挟んで、二人で何かを書く。

命名
→「NAMAHAGE」という星があるらしい。自分の制作の場合、概念的なものに固有名詞を与える(a〜シリーズ)の状況に近いと思った。固有名詞を作るということは、それがこの世界の中に乗っ取り使用されるという状況、そしてそれはそれ以上に意味のない状況を作れるから、いい。

共同生活
→共同生活ということに価値を置くのであれば、まず構造の上部に制作があるのではなく、生活の最善(例えば料理をつくるとか)をきちんと行うことが作品を作ろうと思うことより、作品を作ろうとすることに近いと思った。それは、うっすら感じている自らが制作する行為に対する違和感で、秋田美大での制作でそれぞれが制作している中で自分が制作している状況がピンとこず、それよりもそれぞれが制作をしていることを見ている方が楽しいというのは、ある俯瞰した視点からこの状況自体を自分の制作行為の範疇で捉えることができないかと思うから、いい。

なまはげの構造
→なまはげが終わったあと、こしみのをその神社に巻いていくのが、いい。

投稿:寺岡海

2018.09.06

人反

外と内の差分を「翻訳」する事を制作の主としている。
読み替え可能な外部と本来的?な読み方との間

相撲、poehum、pehu、無人島
レジデンス

疑似家族、制作を失う
家族の生成原理
同情や憐れみ。
バラバラに存在するものをまとめあげる時の原理。
憐れみとはエラー。
本当は関係ない知らんがな。何となく、たまたま居たし
家族はたまたま。

制作にとって外部とは何か。
アーティストにとって、制作とは上部構造にある
下部構造にあるのは制作の外部にあるものである。
制作の外部とは。
その実践のためのレジデンスとして滞在したい。
アーティストが持って居る制作のためのステイトメント
制作の外部のためのサマーステイトメント
より、制作にとっての外部、(偶然性)を呼び込むために
集団生活をする。
一人でいると制作のための滞在として蓋然性をもってしまう。
集団生活はそれを避けるための機能を果たす。
自分自身の制作?外部たる状況にどう立ち会うのか(制作のスタート)にとって重なる部分がある。

その実践の果てにあるのは?

ポテンシャル、何かをつくる事ができる、制作の力能


功利主義(こうりしゅぎ、英: utilitarianism)とは、行為や制度の社会的な望ましさは、その結果として生じる効用(功利、有用性、英: utility)によって決定されるとする考え方である。 帰結主義の1つ。

デュナミス とは、能力・可能態・潜勢態の意味を持つ、アリストテレスの哲学の概念である。 『自然学』などで解説された。事物の生成とは可能的なものが現実的なものに発展することである、とアリストテレスは考えた。たとえば、まだ花でないものとしての種子は、発展することで花となる、と。

瞬間瞬間しか生きてないけど、それを統合した幻想が魂
集まると何かが
ものに魂が宿るか
ものをものとみなす
バラバラなものが連続性の中にこのもの性を持つ。

投稿:船川翔司

#01

投稿:船川翔司

20180906_1

投稿:寺岡海

準備してます

投稿:神馬啓佑

2018.09.05

無題

投稿:神馬啓佑

無題

投稿:神馬啓佑

無題

投稿:神馬啓佑

2日目

投稿:神馬啓佑

お好み焼き

投稿:神馬啓佑

20180905_SUMMERSTATEMENT2016資料

投稿:寺岡海

20180905_SUMMERSTATEMENT2016_アーティストトーク資料

投稿:寺岡海

9/5トークイベントの様子

向三軒両隣トークシリーズ2018 Vol.06
「SUMMER STATEMENT 2018」

日時:2018年9月5日(水)18:00-20:30
場所:G1S (秋田公立美術大学大学院棟1F)
出演者:
第1部【寺岡海(現代美術家)、神馬啓佑(同左)、船川翔司(同左)、来田広大(同左)】
第2部【藤浩志(アーツセンターあきた代表)、三富章恵(アーツセンターあきた事務長)】
進行:藤本悠里子(秋田公立美術大学大学院2年)

投稿:藤本悠里子

「トーク前」20180905(追記:20180906)

トーク前の打ち合わせ。
久しぶりのトークで、緊張して、手が汗ばんだ。

投稿:寺岡海

現実の訓練

そろそろトーク。

投稿:来田広大

尾道

投稿:神馬啓佑

2018.9.5

アキビ校舎

投稿:来田広大

無題

投稿:船川翔司

「朝の海岸」20180904
(追記:20180906)

2018.09.06

朝起きて、近くの海岸まで走ろうと夜に決めたけれど、昨日の夜に少し飲みすぎたせいか、走り出すと吐き気がしたので、ゆっくり歩きながら海岸を目指した。

海岸までは20分ほどでついた。防砂林の森を抜け、たどりついた浜は少しもやがかかり、見える人口物は大きな風力発電の風車だけだったので、二日酔いのせいか、半ば天国にいるような気持ちになった。途中、防砂林の前で、ここを通り抜ければ海にいけるのかどうか自信がなく立ち止まっていたら、おじさんが訝しげに「にいちゃんどこないしとるんや」と言われ、海に行きたいんですがというと、警戒心を解いて道を教えてくれた。海に行きたいという動機がよかったのかもしれない。行き先が沼であれば、彼はどんな顔をしたのだろう。

朝、海岸まで行きたかったのは、台風が過ぎ去ったあとの浜になにかありそうだったからだ。何かありそうというのは、例えば何か漂着物でも流れ着いているのではという感じではなく、何か変な出来事に巻き込まれそうだったからだ。
でもとくにそんな大したこともなく、アラヤサンノに帰り、午後のプレゼンテーションの準備をした。

投稿:寺岡海

2018.09.04

無題

投稿:船川翔司

上小阿仁プロジェクト見学

2018.09.04 16:17

上小阿仁村

投稿:藤本悠里子

作家秋田到着

2018.09.04 5:30

秋田フェリーターミナル

投稿:藤本悠里子

2018.09.03

「敦賀発秋田行きフェリー」
20180903(追記:20180906)

2018.09.06

敦賀港を経ち、22時間かけて秋田へ向かう。

途中、新潟港へ寄り、再び秋田へと出航した。
甲板へ出て、遠くなる新潟港の夜景をしばらく眺めていた。船がどれぐらいの速度で進んでいるのかは、あたりが暗すぎてよくわからなかったが、肌に当たる風の強さで、なんとなくの速度を感じる。

新潟の夜景は、ゆっくりと遠ざかっていた。それはとてもゆっくりなので、ずっと見ていると遠ざかっているという感覚はないけれど、ほんの数秒目を離すと、確実に先ほどまで頭にあった景色とは決定的に違い、それがわからない速度で、でも確実に遠くなっていき、ここにはもう戻ってこないという(そんなこともない)センチメンタルな感覚に襲われた。

慌てて(動揺して)、売店にビールを買いに行ったが、なんとなくあまり好きでもないハイボールを買い甲板に戻って開けたお酒は、焼酎ハイボールというより苦手なお酒だったが、がんばって飲みながら、遠ざかっていく夜景を見送って少し酔う。

ただ、遠ざかる景色とは違い、星の位置は変わらなかったので、地球の上をほんの少し移動してるだけなのだと思って少し安心した。

投稿:寺岡海

トークイベント情報

向三軒両隣トークシリーズ2018 Vol.06
「SUMMER STATEMENT 2018」

日時:2018年9月5日(水)18:00-20:30

場所:G1S (秋田公立美術大学大学院棟1F)

出演者:

第1部【寺岡海(現代美術家)、神馬啓佑(同左)、船川翔司(同左)、来田広大(同左)】

第2部【藤浩志(アーツセンターあきた代表)、三富章恵(アーツセンターあきた事務長)】

進行:藤本悠里子(秋田公立美術大学大学院2年)

トークシリーズ企画「向三軒両隣」は2018年9月4日から9月16日まで関西圏を拠点に活動する現代美術作家の寺岡海、神馬啓佑、船川翔司、来田広大 の4名を秋田に招聘し、アーティスト・イン・レジデンスとそれに伴うイベントを開催いたします。この度、招聘する現代美術作家・寺岡海は毎年継続して、複数名の若手作家と共に短期間のレジデンスプロジェクトを行なってきました。本年度はこれまで滞在場所としてきた関西地方を離れ、東北・秋田にてプロジェクトを実施いたします。 今回行うイベントは、レジデンスを行うアーティスト、そして彼らが滞在する土地で活動を行う人の両側からアーティスト・イン・レジデンスの意義について考えるトークイベントです。第1部では、関西から秋田へやってきたアーティスト4名に自身の活動や作品の紹介、今回の滞在で行うこと、そして一定期間場所を変えて活動・制作をすることのへの期待や効果についてお話しいただきます。第2部ではNPO法人アーツセンターあきたより、代表の藤浩志さんと事務長の三富章恵にご登壇いただきます。現在、そして今後の秋田の文化芸術領域において、外部から来たアーティスト(専門家)が一定期間滞在を行うことへの期待や効果、発展についてお伺いします。

[登壇者プロフィール]

【第1部】

寺岡 海

1987年 広島県生まれ
2012年 嵯峨美術大学芸術学部造形学科油画分野卒業
主な展覧会 2018年 個展「A Wind #2」2kw gallery(滋賀)、2017年 個展「A Wind」KUNST ARZT(京都)、「韓日芸術通信Part2 Cross Point」韓国忠北文化館(韓国)、「未来の途中の、途中の部分」@KUCA 京都市立芸術大学ギャラリー(京都)等。

神馬 啓佑

1985年 愛知県生まれ
2011年 京都造形芸術大学大学院芸術表現専攻油画分野修了
主な展覧会 2018年 個展「当然の結末#2(鑑賞と干渉、言語能力、円周軌道)」Gallery PARC(京都)、2016年「肉とヴェール」京都芸術センター(京都)、「VOCA展 現代美術の展望-新しい平面の作家たち-」上野の森美術館(東京)等。

船川 翔司

1987年 鹿児島県生まれ
展示やパフォーマンスを中心に活動
主な参加企画 2017年「YAKATA」山本製菓(大阪)、2016年 「全感覚祭 16」(東京)、「7つの船」(大阪)、『ゴンゾ解体新書「contaco gonzo × アキビンオオケストラ」』 中之島中央公会堂(大阪)、2015年 個展「天気予報」mograg gallery (京都)等。他ライブ多数出演。

来田 広大

1985年 兵庫県生まれ
2010年 東京藝術大学大学院美術研究科油画技法材料修了
2016年-2017年ポーラ美術振興財団在外研修員としてメキシコシティ滞在
主な展覧会 2018年 「ASK−7人の作家」ART OFFICE OZASA(京都)、2017年 個展「Ave topográfica」Galería Karen Huber(メキシコ)、「VOCA展 現代美術の展望-新しい平面の作家たち-」上野の森美術館(東京)等。

【第2部】

藤 浩志

美術家 秋田公立美術大学大学院教授・副学長
NPO法人アーツセンターあきた 代表
京都市立芸術大学大学院美術研究科修了後、パプアニューギニア国立芸術学校講師、都市計画事務所勤務を経て地域をフィールドにジャンルにとらわれないプロジェクトを試みる。「ヤセ犬の散歩」「お米のカエル物語」「Vinyl Plastics Connection」「Kaekko」「藤島八十郎をつくる」「Polyplanet Company 」等。

三富 章恵

NPO法人アーツセンターあきた 事務長
名古屋大学国際開発研究科修了後、独立行政法人国際交流基金に勤務し、東京およびマニラにおいて青少年交流や芸術文化交流、海外における日本語教育の普及事業等に従事。東日本大震災で被災経験をもつ高校生・大学生や児童養護施設に暮らす高校生の進学支援、リーダーシップ研修事業を行う民間財団での勤務を経て、現職。

投稿:藤本悠里子

SUMMER STATEMENT 2018について

トークシリーズ企画「向三軒両隣」は2018年9月4日(火)から9月16日(日)まで関西圏を拠点に活動する現代美術作家の寺岡海、神馬啓佑、船川翔司、来田広大 の4名を秋田に招聘し、アーティスト・イン・レジデンスとそれに伴うイベントを開催いたします。

トークシリーズ企画「向三軒両隣」は2018年9月4日(火)から9月16日(日)まで関西圏を拠点に活動する現代美術作家の寺岡海、神馬啓佑、船川翔司、来田広大 の4名を秋田に招聘し、アーティスト・イン・レジデンスとそれに伴うイベントを開催いたします。この度、招聘する現代美術作家・寺岡海は毎年継続して、複数名の若手作家と共に短期間のレジデンス・プロジェクトを行なってきました。本年度はこれまで滞在場所としてきた関西地方を離れ、東北・秋田にてプロジェクトを実施します。

トークシリーズ企画「向三軒両隣」は2018年9月4日(火)から9月16日(日)まで関西圏を拠点に活動する現代美術作家の寺岡海、神馬啓佑、船川翔司、来田広大 の4名を秋田に招聘し、アーティスト・イン・レジデンスとそれに伴うイベントを開催いたします。この度、招聘する現代美術作家・寺岡海は毎年継続して、複数名の若手作家と共に短期間のレジデンス・プロジェクトを行なってきました。本年度はこれまで滞在場所としてきた関西地方を離れ、東北・秋田にてプロジェクトを実施します。

本企画では、滞在期間中、4名の作家に日々の記録をつけてもらいます。このウェブサイトでは作家の日記や滞在中の活動の様子を公開・更新していきます。

[[SUMMER STATEMENT 2018]]
滞在期間:2018年9月4日(火)-9月16日(金) 【12日間】
参加作家:寺岡海、神馬啓佑、船川翔司、来田広大
企画:藤本悠里子(秋田公立美術大学大学院 2年)
主催:向三軒両隣
協力:秋田公立美術大学

作家プロフィール

寺岡 海
1987年 広島県生まれ
2012年 嵯峨美術大学芸術学部造形学科油画研究室卒業 主な展覧会 2018年 個展「A Wind #2」2kw gallery(滋賀)、2017年 個展「A Wind」KUNST ARZT(京都)、「韓日芸術通信Part2 Cross Point」韓国忠北文化館(韓国)、「未来の途中の、途中の部分」@KUCA 京都市立芸術大学ギャラリー(京都)等。

神馬 啓佑
1985年 愛知県生まれ
2011年 京都造形芸術大学大学院芸術表現専攻油画分野修了
主な展覧会 2018年 個展「当然の結末#2(鑑賞と干渉、言語能力、円周軌道)」Gallery PARC(京都)、2016年「肉とヴェール」京都芸術センター(京都)、「VOCA展 現代美術の展望-新しい平面の作家たち-」上野の森美術館(東京)等。

船川 翔司
1987年 鹿児島県生まれ
展示やパフォーマンスを中心に活動
主な参加企画 2017年「YAKATA」山本製菓(大阪)、2016年 「全感覚祭 16」(東京)、「7つの船」(大阪)、『ゴンゾ解体新書「contaco gonzo × アキビンオオケストラ」』 中之島中央公会堂(大阪)、2015年 個展「天気予報」mograg gallery (京都)等。他ライブ多数出演。

来田 広大
1985年 兵庫県生まれ
2010年 東京藝術大学大学院 美術研究科 油画技法材料 修了
2016年-2017年ポーラ美術振興財団在外研修員としてメキシコシティ滞在
主な展覧会 2018年 「ASK−7人の作家」ART OFFICE OZASA(京都)、2017年 個展「Ave topográfica」Galería Karen Huber(メキシコ)、「VOCA展 現代美術の展望-新しい平面の作家たち-」上野の森美術館(東京)等。

#SUMMERSTATEMENT2018
#寺岡海
#神馬啓佑
#船川翔司
#来田広大
#向三軒両隣
#秋田公立美術大学

ARTISTS

寺岡 海 KAI TERAOKA

1987年 広島県生まれ
2012年 嵯峨美術大学芸術学部造形学科油画分野卒業
主な展覧会 2018年 個展「A Wind #2」2kw gallery(滋賀)、2017年 個展「A Wind」KUNST ARZT(京都)、「韓日芸術通信Part2 Cross Point」韓国忠北文化館(韓国)、「未来の途中の、途中の部分」@KUCA 京都市立芸術大学ギャラリー(京都)、 2015年 個展「Blanket and Dog」Gallery PARC(京都)等。

神馬 啓佑 KEISUKE JIMBA

1985年 愛知県生まれ
2011年 京都造形芸術大学大学院芸術表現専攻油画分野修了
主な展覧会 2018年 個展「当然の結末#3 好物の話」VOU/棒(京都)、個展「当然の結末#2(鑑賞と干渉、言語能力、円周軌道)」Gallery PARC(京都)、2016年「肉とヴェール」京都芸術センター(京都)、「VOCA展 現代美術の展望-新しい平面の作家たち-」上野の森美術館(東京)等。

船川 翔司 SHOJI FUNAKAWA

1987年 鹿児島県生まれ
展示やパフォーマンスを中心に活動 主な参加企画
2017年「YAKATA」山本製菓(大阪)、2016年 「全感覚祭 16」(東京)、「7つの船」(大阪)、『ゴンゾ解体新書「contaco gonzo × アキビンオオケストラ」』 中之島中央公会堂(大阪)、2015年 個展「天気予報」mograg gallery (京都)等。他ライブ多数出演。

来田 広大 KODAI KITA

1985年 兵庫県生まれ
2010年 東京藝術大学大学院 美術研究科 油画技法材料 修了
2016年-2017年ポーラ美術振興財団在外研修員としてメキシコシティ滞在
主な展覧会 2018年 「ASK-7人の作家」ART OFFICE OZASA(京都)、2017年 個展「Ave topográfica」Galería Karen Huber(メキシコ)、「VOCA展 現代美術の展望-新しい平面の作家たち-」上野の森美術館(東京)等。