IW:神馬さんは絵を描いていたりしたけど、その入りが作家というか、私は全然来た作家に詳しくないし、作家としてっていうより、世代も同世代やから、面白い人たちが来たなっていうノリなのと、もともと関西にいたので関西のノリこんな感じやったなっていうのをちょっと思い出した。関西の風が吹いた感じがすごくあって、関西ってこんなノリなんやなって逆に秋田にいるから感じた。あっているか分からないけれど。そんな感じをしてて、途中WEBサイトに上がっているテキストを読んだり、滞在している中で感じて言葉にしたり、寺岡さんは文章にしてて、こんな風に感じてたんやなとか、こんな風に見てたんやなっていうのは、一緒に青森行ったりしてるのを同行しているが故に、やっぱりすごいなって思った部分もありました。普通の人としてスタートしたけど改めて作家なんやなっていうのを感じたっていうのがあります。
M:やっぱり4人だったのが、複数だったのが良かったと思っていて、それぞれの個性が全然違ったというか。寺岡さんは全然話さないけど文章は色々考えている一方で、話すのが上手い人もいて、一人だけが取り出されて来ていたのと全然違ったという感じがしました。
-キャラが自然と別れたのか、別れるように意識したのか。別にあの4人は普段から会うメンバーではないので、来田さんは初めてやし他の3人は1年に1回合宿するために会うメンバーだけど、来たら共同生活をうまいことできるようにバランスをとっていたなと思って、独特の連関だなと思っていました。
IS:アーティストのっていう枕詞がついてるじゃないですか。ただのお兄さんの夏休みではなく。アーティストの夏休み。寺岡さんに聞いたんですけど、それは必要なことなんだと。それが私はあんまり分からなかったというか、分かるんだけど、あえてそこで言うことはなんでかなって。わかるんですよ。アーティストやなって、色々見てたり、アーティストでいることとはなんぞやっていう気持ちになりました。
-彼らもなってたみたいですね。
M:別に作らなくても良いと言われたがために、アーティストである要素が奪われた感じが。
-大学院生にもインタビューしたんですけど、ある人は最初帰ってほしかったらしいんですね。大学院棟にいるのが嫌やったらしくて。その人は自分の中にあるアーティストっていうイメージに対して、不気味さというか、怖さみたいなのを持っていて、話せば普通で宇宙人じゃないっていうことは分かるけど、「アーティスト」「芸術家」みたいなものが目の前に現れた時に自分の中に引け目を感じる。彼らに対して話す言葉を持っていないという気持ちに陥るらしくて、最初に私がアーティストを呼ぶと言った時に嫌だったと。でもそれもちょっと分かるなと思って。
IS:私もちょっと分かる。
-30代前半のサラリーマンじゃなくて、アーティストが来てるっていうので、何か違う感じになってしまうっていうのは分かるし、意識的に何かを選択する人たち、意識的にキャリアなり、素材なり、表現を選びとっている人たちがそういう生活をしている人たちを呼ぶっていうことが今回の私にとってのアーティストを呼ぶということだったかなと思っています。それは音楽家でも、研究者でも、活動家でもいいのかもしれないですけど、分かりやすくそれをやってくれる人としてアーティストを呼んだなと思いました。
M:そうなった時に、コーディネーターのプロフェッショナリズムが問われるのかなと聞いていて思って、作家の感性というか、する鋭いしそれを言葉にする力も持っている人たちなので、対峙する時に下手なこと言えないという引け目はすごく感じるけれども、それで引いたらコーディネーターとしては不十分かなと思って、そこをあえて引かずに全力投球するのがコーディネーターの1つ大事な前提かなと思ったり、引かずに何をするんだというのはありますけれど。
-アーティストと対峙する時に対等でいるってすごく難しいじゃないですか。強いというか、技を、術を持っている人たちだから、それを持たないで挑むって難しくて、神馬さんは最後の展示どうするってなった時にそこで藤本が展示したら対等になると思うと言われて、納得したんですけど。本来は発表するべき、Exhibit、存在していたことにされるべきはアーティストの表現であるとも思うし、でも同じように生きていたことは対等なのでそれをホワイトキューブというか人に見られる場所に「Exhibition」にするってどう違うんだろうと考えてました。一緒に生活していたら分からなくなるから。
IS:だから一回帰ってくださいって。
-そう、そのISさんの一言にすごい打たれてましたよ。
IS:来田さんには最後コンビニで会った時に「一回帰りますわ」って握手求められました。
-一回帰るってことを、作家は後半になるにつれて大事なことに思ってました。居ることじゃなくて、一回帰るってことが大事になっていく。
IW:整理できないですよね。普段、どんなんやったかなって。
-呼びゃいいってもんじゃないなと思いました。
IS:藤本さんは今回どんな立場だったんですか。あっちはアーティストという自認の仕方で来ていて、藤本さんは?これからどうなるのかとか。
-トークの最後に教授が「これは藤本の教育のためにやっていることなので、アーティストは好きにやって良い。その立場を存分に発揮してくれて良い。でもこの活動が社会化された時にどういう意味を持つか考えなくてはいけないよね」と言われて。そうやと思ったんですけど。これまで自分がやって来た企画が、全部関わり方が特殊やったなと思っていて、キュレーターという立場だけではない関わりになるんですよね。今回も例えば一緒に生活をしてみる、一緒に旅してみる、山に登ってみるというのは鑑賞者でありつつ、企画者でもあり、一緒に活動するチームの一人でもあり、キュレーションだけではないと思っているので、立場が変動する。
IS:ならアーティストもした方が良いですね。笑
IW:でもそれを問う論文でもあるんじゃないの。
-そうです。その立場やからこそ見せれる価値、繋げるものって何なのかを考えたいですね。
IS:この活動でアーティストの卵のような学生たちも一緒に同行してたじゃないですか。関係ないところに種が埋まるというのが色々あっただろうなと今回。それこそ藤本さんじゃない、私とか、岩根さんに。だからインタビューしてると思うんだけど、それが良かったなって思っていましたね。
-どんどん色んな人たちが巻き込まれていく、回収されていく状況を生めたのかは分からないですけど、そういう感覚にはなりました。
IS:國政さんがどんどんおかしくなったりもそうだし。
IW:京都から自転車で来た人とか。どういう状態なんやろうって。
-秋田にアーティストがいるが故に別の人が来るっていうことも起きましたね。
M:テニスコーツのさやさんがいらっしゃってたのもそうですよね。
IW:突然いてびっくりしましたね。
-それぞれの専門職の人が生む効果があると思うんですが、どこがアーティストならではの効果で、どこからが個体差の問題でなのか。
M:それは濾過して抽出できるものなのか。
IW:でも共通認識の意思疎通みたいなものでもないんかな。金さんが来るっていうのも、知ってるやつらがいるっていうのもあったやろうなと。行ったら絶対楽しいみたいな感覚があったからっていうのと、秋田で何かが起こっているというのとか。高校生キャンプの時も、ツイッターで繋がってるだけのリズムくんが来たりして。それも近いなと思って。
-一人だけしか来てなかったら、おそらく来てなくて、そこにストリームというか運動体があるってわかるから来たんかなと。
M:そうですね。それは大きいと思います。
IW:そのストリームが何なのか。
IS:秋田で集まっているっていうのが変なんだよね。東京で集まってても、まあいくけど、その感じはちょっと違うじゃないですか。秋田にって。京都からわざわざ秋田にって。
IW:秋田だからみたいなところはあったでしょうね。
M:仙台でも違うでしょうね。
-未開拓な感じがあるからでしょうか。
IW:今、行かなきゃいけない気がする。今逃したら一生行かないかもって。
-山に登った感覚と今回の滞在を対応させて考えるんですよね。山に行くのと秋田に行くのって近いかもしれないと。存在しているのは知ってるけど、解像度が低くて、行ってみたら要素がありそうな感じがする。
IW:けど行きにくい。
-だから飛行機じゃなくて、フィリーとか自転車で来るっていうのは秋田にそうやって来るのは重要な気がします。
IW:思っているより遠いもんね。
-行ったら行ったで、来る前の地点のこと考えるんですよね。京都にいたら、秋田のこと考えるし、秋田に来たら京都のことを考える。
IS:私も移動とか距離のことをベタに考えるもんなんだなと。よくあるじゃないですか。でも、まだ全然考えることありそうだし、自分もまた考えるのであるなーと思いました。それこそホームとかアウェイとか。
-これは何かに繋がるんですかね。これが育って何かになりそうですか?
IS:今のこの感じを記録しておくのは大事だと思う。見返した時にあ!これ!っていうミラクルが起こるかもしれない。
M:全く個人的な感想としてはこのプログラムにアートと全く接点のなかった人が巻き込まれた時のその後の変化が見れたらなと今更ながら思っていて、私自身も元々アートに関心がなくて「Media/Art Kitchen」という企画に担当者として巻き込まれて面白いと思うようになった変化がもしかしたら、今回の場合は作品を作るという目的ではなかったし、展覧会をやるということも当初設定はなかったけれど、作家と関わった一個人だったり、その言葉に触れたりっていうのを作品とか制作活動とは全然離れたところでやった時に多分すごくアートの見え方が変わるんじゃないかなと自分自身の中で仮定していて、それが見れたら良かったっていうのは思います。それは素人という言い方をすれば素人が関わった時にどう接するかとちょっと片足突っ込んだ私たちが接した時どうなるのかっていうのは、度合いは違えど変化は生まれそうな気がします。
-本来ならもう一人、尾道の滞在の立ち上げ時からいた方がいて、今回来れなくて。その人はアーティスト活動をしている人ではないんですけど、滞在の時だけ作品を作ろうとするんですよ。それはすごく面白いなと。今回いらっしゃらなかったですけれど、おそらくいて。実はいて。遠くにいながら想いは馳せてたんじゃないかと思ってます。